年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

木々を渡る風

2010-10-01 00:00:00 | Weblog
 先日amazonで手に入れた小塩節「木々を渡る風」を読んでいる。前書きからしてすばらしく感動である。(抜粋)
 「この地上には、たくさんの木がある。小さくて幹の細い木、太くて大きい木。こけももや這松のように低く地に伏せるようにしているものもあれば、セコイヤやオーストラリアのユーカリのように100mを超える高木もある。若くて稚いひこばえもあれば、屋久島の縄文杉にいたっては、樹齢6千年といわれる老大樹だ。常緑樹もあれば、年ごとに落葉しつくす木もある。
 木の種属名を挙げるだけで、いったいどれくらいになるのものか、地上の全生物数百万種のうちの、どれほどがいわゆる『木』なのか、その数は私には想像もつかない。私にわかるのは、どの木も水を吸い上げ、大気を呼吸しながら、光を求めて空に向かって伸びているということである。ひたすら光を求めるのが、すばらしい。どの木も、みな生きている。一本一本が、他の木には代わることができぬ自分の生命を、動物とちがって動かず地面に固着しながら、声も出さずに一所懸命にいきている。水と光と空気とから、自分自身で栄養をつくり出し、おのが身を養っている。動物人類にそのおかげをこうむらぬものはない。
 草のような低木も、堂々たる高木喬木も、それぞれに高く天に梢の頭を挙げて光を受けとめようとしながら、同時に、目に見えぬ暗い大地に深く根を張っている。枝と根の広がりは、ほぼ同じくらいの大きさだという。まるで天と地とを結びつける宇宙の軸のようだ。その姿に私は感動する。そして一本一本の木と、共にいま地上に在って生命を与えられていることに、心ゆすられる思いがする。共生のよろこびといいたい。そして木々の生命のとうとさに、畏れの思いをさえ抱かずにいられない。畏敬といっていいだろうか・・・・」
 夕方、職場を離れようとドアを開けた瞬間、ケータイに着信音が鳴った。産業カウンセラーのSさんからである。帰宅方向が同じだから彼女の車に乗せてもらうことにした。帰途中、Sさんのいままでの紆余曲折しながら歩んできて壁に当たったこと、また乗り越えたこと、つらかった20才前半時代の話などを聞いた。それよりも今夕は、彼女が、頭を挙げて強く光を求めている内容のお話を聞くことができた。感謝。ところで私も上にあるような木なんですけども・・ハイ
(写)実家前の恋人岬のライトアップ