暘州通信

日本の山車

◆04423 木之元神社祭

2012年07月11日 | 日本の山車
◆04423 木之元神社祭
□社名 木之元神社
□所在地 静岡県富士市中央町
□祭神
キモトノカミ 木元神
配祀
スサノオノミコト 素盞鳴尊
オオモノヌシノカミ 大物主神
ホムスビノカミ 火産霊神
境内社
稲荷神社
子安神社
□祭は六月中旬。
□山車
山車の形態(呼称)は、山車。
・新追町
本坐には従前の【ひょっとこ・おかめ】のお面がのる。
近年新臺が建造されたが、総欅造りで相当の重量がある。この山車は二層となっていて、
上臺は無蓋の露座で、前後を赤い勾欄で囲み、後部はさらに一段高く設えられた方形の勾欄でかこむ本坐があって、従前の【ひょっとこ・おかめの面】が継承されている。全部は囃子座で、女児が囃子を演奏するという、他所には見られない構造となっている。したがって、従来の山車に見られる下臺前面の藝坐は空間になっている。
旧臺は広見町に譲渡された。
・西仲町
本坐人形は文福茶釜(ぶんぶくちゃがま)の狸。
昭和三二年の建造。
この山車も新追町の山車と同じように上臺露座に囃子座が設えられている。したがって他所の山車では唐破風屋根となるべき部分が露座になっていて、鬼板、懸魚はなく、代わりに上下をつなぐ大きな龍の彫刻が取り付けられて迫力がある。
 木之元神社には境内に井戸があって水神が祀られているが、キモトノカミ(木元神)とは
ナキサワメノミコト(泣澤女命)だとの説があり、山車もこれにちなんで何らかの形で【水をあしらう】ように彫刻が工夫されているが、当山車は、寛永一六年の高波は木之元神社の水神が招いたとの巷説にちなみ、水を避けている。
 ナキサワメノミコト(泣澤女命)を祭神とする神社には、

於呂閇志胆澤川神社(おろへしいさわがわじんじゃ) 岩手県奥州市胆沢区若柳字下堰袋
伊豆山神社 秋田県大仙市花館中町
北桑名神社 三重県桑名市堤原
畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ) 奈良県橿原市木之本町
 一名、哭沢女神社(なきさわめじんじゃ)
 社殿はなく、井戸がご神体となっている。地名が木之本。
 萬葉集の反歌に、

  泣沢の 杜に神酒据ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ (二ー二〇二)

 と詠まれている。檜隈女王が泣沢神社を怨んで詠んだ歌だという。
伊気神社 高知県高岡郡佐川町
 佐川町は、植物学者牧野富太郎氏の生家がある。

 などがある。哭沢女神社は、神社が井戸であり、地名が木之本町であることなど共通点がある。
・傳馬町
本坐人形は牛若丸。
彫刻も【義経記】にちなんだものとなっている。山車の曳行は弁慶に扮した若衆らが曳く。
昭和三二年の建造。
・西本通り
本坐は社殿。当山車の社殿は木之元神社で、神社から分祀された祭神が乗る。紙が山を降るときの、山車が移動神坐であった古態の思想を伝承する貴重な例といえよう。
旧臺は老朽化で昭和三三年に改修された。
・昭和通り
本坐人形は桃太郎。
随所に巧緻を極めた彫刻が施されている。
昭和三一年の建造。
・住吉町
単層素木造り、関東方面に多く見られる屋臺の形態で、唐破風屋根がある。前面は藝坐で囃子が演奏される。近年屋根の上に本坐が取り付けられた。いずれは他の町内と同じように本坐人形が飾られるのであろう。
昭和四八年の建造。
・日吉町
本坐人形は鳳凰。
戦前、昭和一二年の建造で、木之元神社氏子の山車のなかでは最も古い。
(順不同)
□汎論
 木之元神社の創祀は不明。鈴川の産土神(うぶすなのかみ)として篤く敬われてきたが、東海道吉原宿が寛永一六年、高波により罹災したとき分霊を受けて祀られた。現在は、木之元神社が二社ある。旧本社は、背後は富士山、前は景勝田子の浦に面し、富士山、田子の浦を一体として取り込んだ風光絶佳の景勝の神社である。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・国久青年会とは
 http://web.thn.jp/kkk/sub1.htm
・マニア必見お祭りギャラリー
 http://www.yoshiwara.net/gion/sayasahachi.html

行政コード番号は従前のままです。 
20120520 更新