備忘録として

タイトルのまま

Ghost Festival

2011-08-20 16:13:08 | 東南アジア

 日本のお盆と同じように、シンガポールにも中国暦中元の7月15日にGhost Festivalというお祭りがあって、ご先祖様がこの世に帰ってくる。日本と同じようにというのは語弊があり、こちらが日本のお盆の起源かもしれない。街中いたるところに仮設舞台がつくられ、歌や劇が数日にわたって演じられる。家のそばにも舞台ができ、中国人歌手の歌声が大音量で流され数日間は騒々しかった。各家の戸外では、線香を焚き、あの世の紙幣を燃やす。

 昨日は7月15日を過ぎているのだが事務所でもシンガポール人スタッフが中心になってお祀りをした。一人一人に3本ほど線香が渡され赤い箱状の爐(ろ)のなかに刺していく。仕事の安全を祈りGhostが悪さをしないようにお祀りするのである。Ghostは天にいるので、祭壇は屋外の空が見えるところに設けられた。

  

 Ghost Festivalは、道教では”中元節”、仏教では”盂蘭盆節”、民間信仰では”鬼節”といいうように、道教と仏教と中国の民間信仰が混合したものだ。下は燃やした紙の一部で、上は聖人らしき人が3人並んでいるので三皇だと思うが、そうなら中国の民間信仰、下は南無阿弥陀仏と書いてあるので仏教である。あの世で使う紙幣も燃やした。7月15日前後の期間、天国や地獄の門が開かれているのだという。

 三皇は誰かということでは諸説があるらしい。司馬遷は、史記「秦始皇帝本紀」で、秦の始皇帝が皇帝という称号を決めるくだりで、学者たちが、”いにしえ、天皇があり地皇があり、泰皇があった。”と述べているので、これを三皇とする説、また中国神話の伏羲(ふくぎ)・女媧(じょか)・神農を三皇とする説などがある。後者は下半身が蛇などの半人半獣なので、紙に描かれた3人は司馬遷の言う三皇のように見える。司馬遷の史記本紀は「五帝本紀」から始まるので五帝に先行する三皇のことは前述の始皇帝の章にしか出てこない。史記「五帝本紀」に最初に登場する黄帝(五帝のひとり)が泰山で天と地を祀り封禅の儀を行うが、ここに司馬遷のいう三皇の”天、地、泰”が揃う。いずれにしても三皇は神話や儀式上の存在であるということだ。

 中国に広く流布する宗教的な道教と老子・荘子の哲学思想である道家は同じでない。自分も混同してしまっていた。道教は老子を教祖に祭り上げているので、道家と道教は同じだと勘違いしてしまう。確かに老荘思想には神仙思想があるが、基本的に無為自然を唱えているので、道教のように寺院を構えたり、先祖の霊魂を華々しく迎えるような儀式をしたり、教団を造るという発想はでてこないはずである。道教は、不老不死などの怪しい教義を持つ民間信仰の発達したものである。娘が小さい時に流行った、お札を額に張って動きを封じるキョンシーにも怪しいナントカ道士が出ていたが、これは道教である。不老不死といえば、秦の時代に徐福が東海にその薬を求めると始皇帝を騙し若い男女3000人を船に乗せて日本に流れ着いたというあの徐福伝説がある。徐福は方士で、道教の道士も方士も神仙の術を操る怪しい連中である。まじめに道教を信奉する道士も存在するらしく、彼らは仏教の僧侶やキリスト教の聖職者と同じような存在である。

 日本のお盆は、お墓詣り、法要、檀家など宗教色が強く、仏教行事のように思っていたが、考えてみれば各地に宗教とは関係ない盆踊りがあり、その起源は知らないが現在の阿波踊りも宗教とは全く関係がない。もうしばらくお盆に帰省していないので阿波踊りを見ていない。昨年から徳島空港が、徳島阿波踊り空港という名に変わったらしい。徳島といえば阿波踊りだからそれでいいのだけれど、高知の龍馬空港には負ける。


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