今回インドまで出かけた目的は観光ではなく、結婚式に出るためだった。それで、訪れた「名所」は二箇所ほどだけだった。そのうちの一つがデリーのイスラム教モスク遺跡、クトゥブ・ミナールと周辺建物群であった。ここで、ミナールとはイスラム教寺院特有の尖塔、ミナレットを意味する。
この遺跡、先ず第一に「インドにもイスラムの跡」ということで先ずびっくり。次に、この尖塔が余りにも巨大(高さ72.5m 、基部の直径約 15m)であることに唖然。何よりも、小生、インドの歴史には極めて疎いことを思い知った。
このモスクは、1192年にインド北部を征服したクトゥブ・ウッディーン・アイバクが創始した王朝が建設したと言う。巨大なミナレットを建設した目的は、それまでのこの地の宗教、ヒンズー教を痕跡まで「抹消」し、イスラム教信仰を誇示し徹底することにあったようだ。
クトゥブ・ウッディーン・アイバクがアフガニスタンの君主, ゴール朝のムハンマドの奴隷軍人出身であったこと、及びこの王朝の創始が頼朝が鎌倉幕府を開いたのと同じ年であったことなどを知り、このあたりの「インド史」にも興味を感じさせられた次第である。
カメラ: FinePix S5Pro/ AF-S DX NIKKOR 18-200mm
この遺跡、先ず第一に「インドにもイスラムの跡」ということで先ずびっくり。次に、この尖塔が余りにも巨大(高さ72.5m 、基部の直径約 15m)であることに唖然。何よりも、小生、インドの歴史には極めて疎いことを思い知った。
このモスクは、1192年にインド北部を征服したクトゥブ・ウッディーン・アイバクが創始した王朝が建設したと言う。巨大なミナレットを建設した目的は、それまでのこの地の宗教、ヒンズー教を痕跡まで「抹消」し、イスラム教信仰を誇示し徹底することにあったようだ。
クトゥブ・ウッディーン・アイバクがアフガニスタンの君主, ゴール朝のムハンマドの奴隷軍人出身であったこと、及びこの王朝の創始が頼朝が鎌倉幕府を開いたのと同じ年であったことなどを知り、このあたりの「インド史」にも興味を感じさせられた次第である。
カメラ: FinePix S5Pro/ AF-S DX NIKKOR 18-200mm