世の中どんなにデジタル化が進んでも、「季節」をデジタルで表すことはできません。人為的に時間を区切って作られた暦と違って、「季節」はきわめて曖昧。まさに「移らふもの」ですね。
それでも、人間は何とかして四季の移ろいを暦の上で表したかったらしい。それが「節分」つまり季節の分かれ目です。季節の始まりの日を、それぞれ立春、立夏、立秋、立冬と呼びます。古代中国では、これ以外にも、気温、気象、農事にまつわる様々な季節を表す名称がありました。いわゆる「二十四節気(にじゅうしせっき)」ですね。
春の始まりは「立春」で、旧暦の元日前後に置かれていました。年の初めと春の始まりを一致させようというわけです(ただし、暦の巡り合わせで、「年内立春」といって、元日以前に立春を迎える年も珍しくはないようですが)。現在の新暦では概ね2月4日頃が立春です。雪深い青森なんかに限らず、日本人にとっては、2月上旬に「春を迎える」というのはどうも違和感があるような気がします。一応、気象学的には、「春」は3月~5月を指すことになってるし。でも、立春は、冬至と春分のちょうど中間の日であり、この日から「春」が始まるというのもわかるような気もしますね。
さて、立春が新年を迎える日だとすれば、その前日は大晦日に当たるわけで、節分の中でも特に重要視されていました。この日、1年の厄払いの意味を込めて「豆まき」をするのはそんな意味があります。豆まきの標的となる「鬼」とは「邪気」のこと。「豆」には、「魔滅」(悪魔を滅する)させるために「魔目」(悪魔のような邪気のこもった目)を投げつける、という二つの意味が込められていると言われます。ということは、「豆」は鬼(邪気)を追い払うために使われるものでありながら、豆自体にも「鬼」が宿っているということになります。豆まきの時には、「鬼は外」と言いながら、豆もまた家の「外」に放らなければならないわけです。
青森県弘前市の「鬼神社」が位置する鬼沢地区では、鬼は決して邪気ではないと考えられており、「鬼は内」と唱えるのだそうですが、「鬼」の地名や苗字を持つ地域でも同じことが行われているらしい。考えてみれば、人間が誰しも持つ心の内の邪気を、勝手に「鬼」で象徴しているだけなわけで、毎年毎年、外に追い出される鬼もかわいそうといえばかわいそう。もともと「オニ」という言葉は、「陰」の読みだったらしく、人の内外に起こる姿の見えない災いという意味でした。陰陽五行説では、そうした災いは「北東」の方角、つまり「鬼門」からやってくる。北東は、「丑寅(うしとら)」の方角にあたることから、象徴としてのオニの姿は、「牛」の角を生やし、「虎」のパンツをはいている姿で表されます。赤とか青の肌の色は、きっと人間にはない異形の肌の色という意味なのでしょう。
いずれにしても、外からの災いはともかく、「内なる災い」は自分自身の心がけしだいで防げることも多そうです。「"福は内"から作り出す」ということですかね。
それでも、人間は何とかして四季の移ろいを暦の上で表したかったらしい。それが「節分」つまり季節の分かれ目です。季節の始まりの日を、それぞれ立春、立夏、立秋、立冬と呼びます。古代中国では、これ以外にも、気温、気象、農事にまつわる様々な季節を表す名称がありました。いわゆる「二十四節気(にじゅうしせっき)」ですね。
春の始まりは「立春」で、旧暦の元日前後に置かれていました。年の初めと春の始まりを一致させようというわけです(ただし、暦の巡り合わせで、「年内立春」といって、元日以前に立春を迎える年も珍しくはないようですが)。現在の新暦では概ね2月4日頃が立春です。雪深い青森なんかに限らず、日本人にとっては、2月上旬に「春を迎える」というのはどうも違和感があるような気がします。一応、気象学的には、「春」は3月~5月を指すことになってるし。でも、立春は、冬至と春分のちょうど中間の日であり、この日から「春」が始まるというのもわかるような気もしますね。
さて、立春が新年を迎える日だとすれば、その前日は大晦日に当たるわけで、節分の中でも特に重要視されていました。この日、1年の厄払いの意味を込めて「豆まき」をするのはそんな意味があります。豆まきの標的となる「鬼」とは「邪気」のこと。「豆」には、「魔滅」(悪魔を滅する)させるために「魔目」(悪魔のような邪気のこもった目)を投げつける、という二つの意味が込められていると言われます。ということは、「豆」は鬼(邪気)を追い払うために使われるものでありながら、豆自体にも「鬼」が宿っているということになります。豆まきの時には、「鬼は外」と言いながら、豆もまた家の「外」に放らなければならないわけです。
青森県弘前市の「鬼神社」が位置する鬼沢地区では、鬼は決して邪気ではないと考えられており、「鬼は内」と唱えるのだそうですが、「鬼」の地名や苗字を持つ地域でも同じことが行われているらしい。考えてみれば、人間が誰しも持つ心の内の邪気を、勝手に「鬼」で象徴しているだけなわけで、毎年毎年、外に追い出される鬼もかわいそうといえばかわいそう。もともと「オニ」という言葉は、「陰」の読みだったらしく、人の内外に起こる姿の見えない災いという意味でした。陰陽五行説では、そうした災いは「北東」の方角、つまり「鬼門」からやってくる。北東は、「丑寅(うしとら)」の方角にあたることから、象徴としてのオニの姿は、「牛」の角を生やし、「虎」のパンツをはいている姿で表されます。赤とか青の肌の色は、きっと人間にはない異形の肌の色という意味なのでしょう。
いずれにしても、外からの災いはともかく、「内なる災い」は自分自身の心がけしだいで防げることも多そうです。「"福は内"から作り出す」ということですかね。
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