goo blog サービス終了のお知らせ 

カクレマショウ

やっぴBLOG

「トゥルーマン・ショー」─感動はこうしてつくられる。

2010-01-24 | ■映画
"THE TRUMAN SHOW"
1998年/米国/103分

【監督】ピーター・ウィアー
【脚本】アンドリュー・ニコル
【出演】ジム・キャリー/トゥルーマン・バーバンク  エド・ハリス/クリストフ
    ローラ・リニー/メリル  ノア・エメリッヒ/マーロン
    ナターシャ・マケルホーン /ローレン(シルヴィア)

**********************************************

『スキャンダルの歴史』(海野弘著)という本の書評(2010年1月24日付け朝日新聞)によると、「スキャンダルは三つの要素、つまり、主役、事件、観客があって成立する」らしい。古くは古代ギリシア時代からスキャンダルはあったそうですが、「本格的なスキャンダル」が成立するのは、新聞、雑誌、テレビといった「マスメディア」が登場してからだという。

そりゃそうですよね。いくら面白い話でも、「主役」をめぐる「事件」をマスメディアが「観客」に伝えてくれなければ、スキャンダルにはならない。見て楽しいと思う人がいるからこその「スキャンダル」です。言い換えれば、マスメディアという伝え手がいるからスキャンダルはスキャンダルたり得る。

もともとスキャンダルというのは、それまで培ってきた「名誉」を汚されるような醜聞という意味ですから、「主役」は政治家や権力者など、歴史に名を残すような人だったはずです。ところが、現代のスキャンダルの主役は、もっぱら芸能人が占めているようでもあります。「テレビに出ている人」なら、誰でもスキャンダルの主役になれちゃう時代なのですね。

「テレビに出ている人」は、普通、そのことを意識して行動し、生活しているはずです。でも、この映画の主人公トゥルーマン(ジム・キャリー)は、自分が「主役」であることに気づいていない。そんなのありかよ~と思いますが、実は「あり」なのです。マスメディアがその気にさえなれば、そんな主役を「つくってしまう」ことなど朝飯前なのです。

どうやって「つくった」のかは、映画を見てのお楽しみにしますが、とにかく、彼のすべての行動は、一つの「ドラマ」として全米でテレビ放映されている。そして、そのことを彼自身は全く気づいていない。いや、正確には、ある時点まで、気づいていなかった。

そのテレビ番組、「トゥルーマン・ショー」を、多くの視聴者が熱中して見ているわけです。トゥルーマンの「演技ではない」一挙手一投足を、息を殺して見つめている。それはまるで「覗き見」をしているかのようなスリル感にあふれている…。

トゥルーマンが死んだはずの父親と再開する場面なんか、その最たるもので、ほんと、「感動」って「つくり出す」ことができるんだよなあとつくづく思いましたもん。もちろん、その感動的なシーンには、この番組の制作責任者クリストフ(エド・ハリス)の計算され尽くした演出が施されています。再開する場所、カメラワーク、BGMと全てクリストフが視聴者の「感動」を呼び起こすために指示したどおり。

最近、そういう「つくられた感動」にはほとほと嫌気がさしていて、見る気にもなれないのですが、つくられたと分かっていても、「感動したい」という人はもしかしたら多いのかもしれませんね。なんだか、テレビによって「感動」がどんどん安売りされているような気がしませんか? これでも感動しないか、じゃ、この迫り方ならどうだ…といったような。

「トゥルーマン・ショー」は、その究極の形なのかもしれません。なにしろ、主役がちっとも「演じていない」のですから、流す涙は「ホンモノ」だし、表情も自然。ドラマというより、これは究極のワイドショーですな!

それはそうと、一番面白かったのは、こういう番組での「CM」の入れ方です。生放送だから、トゥルーマンがいつ何をするか、放送中は片時も目が離せないので、CM中断は避けたい。でも、スポンサーの商品CMを入れる必要はある。そこでどうしたかというと、トゥルーマン以外の「出演者」が、日常会話の中でさりげなく商品宣伝をするのです。ココアの宣伝文句は、あまりにも非日常的でとってつけたようなセリフなので不自然なのですが、トゥルーマン自身も、さすがにもその「おかしさ」に気づいていく。

いやCM云々という以前に、この番組に登場する「モノ」すべてが宣伝になっているといってもいい。日常生活の光景の中に自然に収まっている方が、逆に宣伝効果はあるだろうから。そういう意味では、この番組は、スポンサーにとっても、この上なくおいしい番組なんでしょうね。

ピーター・ウィアー監督は、「いまを生きる」(1989年)、「モスキート・コースト」(1986年)、そして「刑事ジョン・ブック/目撃者」(1985年)を撮った監督。もともと脚本を書いたアンドリュー・ニコル(「ガタカ」の 監督・脚本)がメガホンをとる予定だったのが、主役をジム・キャリーがやることになったため、そのギャラを稼ぐのに彼では心許ないということで、実績のあるピーター・ウィアーに白羽の矢が立ったという経緯あり。アンドリュー・ニコルは、当時「ガタカ」(1997年)の監督・脚本くらいしか持ち札がなかったので…。「ガタカ」があればじゅうぶんだったのでは?とも思いますけどね。

ジム・キャリーは、「マスク」の印象があまりにも強すぎて、どんな映画に出ても、今にマスクをつけるんじゃないかと錯覚してしまいます。いい役者には違いありませんが。

設定の面白さで、最後まで楽しめる映画です。

『トゥルーマン・ショー』≫Amazon.co.jp


 

最新の画像もっと見る

1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (トルーマンショウ)
2019-03-03 12:02:05
この映画・・・

どうしてTruemanではなくTrumanと言うスペルを、わざとらしくトゥルーマンと変えてしまってるのでしょうねwww

実はこの作品、日本人の事を描いた作品だと言う考察が成されています。

本編中、日本人を皮肉ったかの様なシーンが何度か出て来ます。

ジム・キャリーの住んでいるSea Heavenとはおそらく日本の事でしょうね。

『Harry S Truman Show』

●アメリカ33~34代大統領

『トルーマンの言葉』

猿(日本人)を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。
方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。
そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。
これで、真実から目を背けさせることができる。
猿(日本人)は、我々の家畜だからだ。家畜が主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。
そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は、長寿にさせなければならない。
(化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。
これによって、我々は収穫を得続けるだろう。これは、勝戦国の権限でもある。

(ハリー・S・トルーマン)
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。