カクレマショウ

やっぴBLOG

立佞武多と被災地の祭りと。

2011-08-07 | ■その他
五所川原の立佞武多(たちねぶた)を見てきました。

話しは去年の夏にさかのぼります。青森ねぶたを跳ねに来た東京の知人を、「立佞武多の館」(立佞武多が展示されている建物)にも案内したところ、青森ねぶた以上にお気に召したみたいで、あれが実際に「動いている」ところを見たいということで、今年も青森に来てくれることになったのです。私自身、立佞武多が街を練り歩くのを見たことはなかったのでいい機会になりました。

立佞武多の見所の一つは、「立佞武多の館」から立佞武多が「出陣」する場面です。青森ねぶたの場合は、仮設テントみたいなねぶた小屋からねぶたが次々と出陣していくに過ぎないのですが、「立佞武多の館」は、ふだん常設的に展示してある立佞武多を、巨大な前扉(ガラス)をどかーんと開いて、そこから出陣させるのです。何せ、高さ約22m、重さ17tもある立佞武多です。建物の中からゆっくりそろそろと屋外に出てくる姿を見ただけで、おおおーっ!!!!!!ほんとに出てきたー!といきなり感動。

   

外には囃子方も待ちかまえていて、いよいよ3台の立佞武多が出陣し、「館」の前の運行コースに繰り出していきます。…と思っていたら、運行コースの後ろの方から、別の立佞武多が…。力士の姿を模した立佞武多。よく見ると、マワシの部分には「農高」と書いてある。それは、五所川原農林高校の立佞武多でした。ちょっと小ぶりだけど、それでも堂々とした立佞武多。「館」に展示されているものだけではなく、ほかにも数台の立佞武多が勇姿を見せてくれました。

実際に街中を練り歩く立佞武多は、想像以上に大きく見えました。混雑をかき分けるようにして、できるだけ近くに寄って見上げてみると、まるでスカイツリーの下に立った時と同じ感覚に陥りました。本当に、迫力満点です。立佞武多は、しばらく途絶えていたものを13年前に復活し、年々多くの観光客を集めるようになってきています。多くの人が立佞武多に引きつけられる理由は、この並外れた「大きさ」にほかならない。想像を超える大きなものを見たい、というシンプルな欲求に、立佞武多は見事に応えてくれていますね。

大きいから、立佞武多は遠くからでもよく見える。帰り際に、新生大橋(陸橋)を渡ったところ、クルマを通行止めにした橋の道路上にたくさんの人が座って見物していました。運行コースではないのですが、ちょうど、コースが真正面に見えるポジションなのです。立佞武多そのものだけを楽しむなら、遠くからでも十分なのかもしれません。囃子とか踊りはよく見えないけれど。

同じ「ねぶた」でも、五所川原の場合は、青森とは太鼓のリズムも掛け声も違う。テンポの速い太鼓に合わせて、「ヤッテマレ、ヤッテマレ」という掛け声。ねぶたのあとに続く「踊り」も、青森の場合はどのねぶたも「ハネトが跳ねる」ことで統一されていますが、五所川原は、それぞれのねぶたで全然違う。ハネトが跳ねているものもあれば、子どもたちの「よさこいソーラン」っぽい踊りがあったり、ご婦人方の流し踊りがあったり。その中で、五所川原農林高校と五所川原高校のねぶたでは、高校生たちが集団でそれぞれオリジナルの踊りを見せてくれました。みんな立佞武多が好きで、祭りが好きで、って感じで、楽しそうに踊っていたのが印象的でした。知人たちも、高校生の踊り良かったーと言っていました。

ところで、こないだ東奥日報でも取り上げられていた「カラス族」。どのねぶたにも入れてもらえずに、最後尾にまとまって、集団でやってきました。通常、祭りに参加する人は、必ず「ねぶた」の後ろに付く。ねぶたに付かない参加者というのは、やっぱり異常です。それは参加者、とさえ言えないのではないかと思いました。どんな異様な格好をして街を歩こうが、それは本人の自由だから誰も非難はできないけれど、「祭り」という枠の中では、やはり決められたルールは守るべきですね。祭りに参加する権利を主張するなら、同時に発生する義務とか責任も一緒に背負わなくちゃ。

今夜のNHKでは、東日本大震災の被災地の夏祭りを取り上げていました。

祭りが大好きだった友人や家族を亡くした人たちが、悲しみを乗り越えて、今年の夏もいつもと同じように祭りをやろうとする。津波の被害を受けた陸前高田市では、各地区の若者が中心となって、みんなで協力して、苦労しながらも「うごく七夕まつり」の山車を製作していました。彼らは、何とか祭りに間に合った山車を曳いて、瓦礫と化したかつての中心街を練り歩く。そのシーンを見て、見てはならないものを見てしまったような気持ちにさせられました。彼らは、亡くなった人たちに見せたい一心で山車をつくり、灯をともして、それを曳いている。その部分だけを切り取って見せられたらいい。でも、一歩引いてみると、周辺の光景は、去年までとあまりにも違いすぎている。そのアンバランスに、誰もが言葉を失っていました。ただ、涙をこらえて太鼓を叩き、笛を吹き、山車を曳く。

「こんなところを曳いて歩くとは夢にも思わなかった…」。祭りを愛していた息子を亡くした父が、海を見つめて静かに涙をこぼす。「また前のようににぎやかなまちになればいい」。若者の熱意にほだされて祭りを手伝う老人がつぶやく。

そんな映像を見て、実際に目にした立佞武多の活気と熱気とのあまりの違いに、私にはこれ以上語れる言葉はない、と思ったのでした。


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