2004年の佐世保小6少女による同級生殺害事件を描いたノンフィクション『謝るなら、いつでもおいで』の著者・川名壮志氏と池上彰氏の対談。本については読んでいないので何も書けませんが、対談の中で「少年による殺人事件は減っている」という部分を読んで、そうだったのかと思いました。
警察庁の統計によれば、殺人で検挙された刑法犯少年(14歳~19歳)の人数が一番多かったのは、1951年の443人。なんと、毎 . . . 本文を読む
まあ、考えようによっては「たかが閣議決定」ととらえることもできる。あくまでも憲法の解釈の仕方を今の内閣が勝手に変えたということで、憲法そのものは変わってはいないわけで。日本の戦後民主主義は、「三権分立」つまり、司法、行政、立法の3つの権限をきっちり分けていることに依って立っています。憲法解釈が正しいかそうかはもちろん「司法」が判断することになっています。今回の憲法解釈をめぐる閣議決定は、本来「行政 . . . 本文を読む
これまで誘致活動に携わってきた皆さんにとっては、涙が出るほどうれしい瞬間だったと思います。これまでの苦労が報われたことに対して、心から祝福します。
7年後のオリンピック開催が決まって良かったなあと思うのは、日本中の老若男女がこぞって「7年後には…」という会話をしている風景です。微笑ましいなあと思います。少なくとも、「未来」に目を向けて、しかも未来の具体的な自分の姿を想像したり希望を語ったりする機 . . . 本文を読む
東日本大震災からまもなく1年を迎えようとしていますが、家族を失った人たちの悲しみ、悔しさが癒えるわけではありません。
今朝の毎日新聞でも、防災庁舎にいて津波に流され今も行方不明だという南三陸町の役場職員のお父さんが、やりきれなさを語っていました。昨日、遺体が見つからないまま葬儀をすませたという。
防災庁舎に行けと命じたのは町長であり、息子は天災ではなく人災に遭っ . . . 本文を読む
「死刑は人間社会に用いられたもっとも古い刑である。」(K.B.レーダー『図説 死刑物語』原書房、1989年)
山口県光市の母子殺害事件の被告の死刑が確定しました。
被害者の遺族の本村洋さんは、「遺族としては大変、満足しています。ただ決して、うれしさや喜びの感情はありません。厳粛に受け止めなければならない」と語っています(2012年2月21日付け朝日新聞)。
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「ビッグパレットふくしま」は、福島県郡山市にあるコンベンション施設です。郡山市も東日本大震災では震度6弱を観測し、この施設も大きな被害を受けています。にもかかわらず、この施設は、福島第一原発の事故後に避難してきた富岡町や川内村などの住民の避難所となり、最大2,500人もの人が、8月31日の閉鎖まで数ヶ月間を過ごしました。 そこに、ビッグパレットふくしま避難所県庁運営支援チームとして、県から派遣さ . . . 本文を読む
子どもの頃、交通安全教室の自転車の乗り方マナーで、手信号について学びました。右折する時は右手を水平に上げるとか、左折の時は右手を肘から曲げて上げる、止まる時には斜め下に下ろす…。あの手信号って、実際にやっている人はほとんど見かけないのですが、今も生きているんだろうか?と調べてみたら、ちゃんと道路交通法に記載されているのですね。そんなことも知らずに自転車に乗っていた私。
先月末、警察庁が発表し . . . 本文を読む
東京で暮らした通算7年間しかお世話になっていないけど、「ぴあ」にはホントにお世話になりました。このたび、「ぴあ」が1972年の創刊以来、39年間にわたる歴史に幕を下ろすと聞いて、多くの人たちと同じように寂しい気持ちでいっぱいです。7月21日発売の「最終号」を感慨深く読みました。
学生時代は、確か1冊200円とかで、まだ隔週刊の時代でした。青森から上京したてで、東京の何もかもが刺激的だったあの頃、 . . . 本文を読む
今年の3月18日に完成時の高さ634mに達した東京スカイツリー。来年5月の開業まで、今日でちょうどあと500日だそう、現在も急ピッチで建設が進んでいます。この前見に行ったのは2009年11月のことで、その時はまだ高さも現在の1/5に過ぎない120mしかなかった。
あれから約1年半。すっかり成長したスカイツリーの姿を見に、再び押上を訪れてみました。
真下から見上げてみると、その巨大さにただた . . . 本文を読む
被災地では、今日から新学期が始まったところも多いらしいですね。子どもたちの歓声や笑い声が聞こえるのが当たり前だと思っていた学校も、震災以来、そうではなくなっていました。避難所として使われていた学校が、ようやく本来の姿を取り戻しました。
久しぶりに子どもたちの元気な声で満たされた学校。先生方も、地域の皆さんも、そして、もちろん子どもたち自身も、どんなにかうれしかったことでしょう。おとうさん、おかあ . . . 本文を読む
大震災から、1ヶ月以上が過ぎました。4月11日午後2時46分、職場でも黙祷が捧げられました。その10分ほど前、ふと時計を見て、思いました。ああ、1カ月前の2時36分には、何も起こっていなかったんだなあと。人々は、淡々と「いつもの生活」を送っていた。ところが、10分後には、すべてが変わってしまった。
さっきまで生きていた人が死に、さっきまで笑っていた人が波に飲まれ、さっきまで住んでいた家が押しつぶ . . . 本文を読む
大震災による死者・行方不明者がついに2万人を超えました。その数倍の人たちが、家族や友人を亡くして悲しみにくれているかと思うと、本当に胸がふさがれる思いがします。テレビで連日伝えられる遺族たちの姿は涙なくしてとても正視できません。
辛うじて生き延びた被災者の皆さんには、日本や世界各地からの支援が届けられています。阪神・淡路大震災をはじめ、これまで大災害で被災した経験のある人たちが、「あのつらさは経 . . . 本文を読む
大震災は、日が経つごとに被害状況が明らかになっています。犠牲者、行方不明者の数はテレビ局によっていまだまちまちですが、多いところでは、3,200人という数字も。安否が不明な人は2万人とも報道されています。宮城県災害対策本部では、県内の犠牲者は1万人を超えることは必至という見解だとか…。
テレビ局がそれぞれ入手したと思われる家庭用ムービーで撮影された津波の生々しい映像には、改めてそのすさまじさに驚 . . . 本文を読む
いつどんな時にやってくるか分からないのが災害。人間の営みと全く関係なくそれはやってきて、人間をあざ笑うかのように我々の生活を破壊していく…。
2011年3月11日、14時46分。東北地方を襲った大地震も、突如としてやってきました。青森市内の職場でもけっこう横揺れが長く続き、ちょっと騒然としました。震度4。しかし、揺れている最中から蛍光灯が消え、停電になってしまいました。職場のテレビが見られないの . . . 本文を読む