遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

万葉植物園~国分寺崖線を歩く

2010-04-23 20:29:25 | 山のあしおと小学校

 つばき 和名;やぶつばき やまつばき

 大伴の宿禰家持の館に宴する歌
『奥山の 八峰の椿 つばらかに 今日は暮らさね太夫のとも (巻一九の四二五二)





 つつじ 和名;やまつつじ つつじ科

『山越えて 遠津の浜の石つつじ 
   我が来るまでに 含みてあり待て




 ちち 和名;いぬびわ

 長歌
『ちちの実の父の命 作葉の母の命
   おぼろかに 情尽くして念ふらむ・・・後略』 (巻一九の四一六四)
 

武蔵国分寺跡~国分寺崖線を歩く

2010-04-23 11:30:31 | 山のあしおと小学校
 国分寺薬師堂

 国分寺4小の交差点に戻り、小学校に沿って南進するとやや下り坂にさしかかる辺りの左手に薬師堂が現れる。



 境内を通って木造薬師如来像の由来や穴居住居跡の説明を読みながら南側に進んで階段を下れば、緩やかに左にカーブしながら下ってきた先の通りの坂下に出る。その辺りから路が狭くなったと思うとすぐに武蔵国分寺跡に着く。



 門前に立つ立派な楼門の前に花市が開かれて賑やかだ。古色蒼然とした寺院の建物よりも、人は色鮮やかな花に目を奪われる。春なればそれもまたよし。



 境内は元国分寺の住職が、武蔵国分寺創建の時代に編纂された万葉集から、当時の歌人が好んで歌の題材とした約160種の植物を集めて歌とともに配したと言う万葉植物園になっている。
 ここでしっかり時間をとってそのすべての歌と植物を撮影することにした。

東山道武蔵路~国分寺崖線を歩く

2010-04-23 09:59:51 | 山のあしおと小学校
 街道路面の復元レプリカ
 東山道・武蔵路
 東京国分寺崖線~ハケの道を歩き始めて最初に訪ねた場所・・。予備知識を持たずに西国分寺駅南口で降りて住宅街の緑地帯を通り、府中街道に突き当たって左折,見覚えのある大きな歩道橋を渡って直進し国分寺4小入り口の交差点に到達する。
 ここで道を聞くと右折してゆっくりカーブしながら下って武蔵国分寺跡からお鷹の道に入る~と教えられた。

 国分寺4小交差点
 案内図
 教えられた通りに信号を渡るとそこにハケの道の案内板があり、その中に『東山道武蔵路』の路面をそのままの位置で発掘,再現したレプリカのモニュメントがあるらしいことが分かった。この『東山道』にまずつかまってしまった。
 なぜなら、その東山道の一方の通過点とも言うべき標識が松本市内にあり、また先月引き払った旧四賀村の借家のまん前をその東山道が通っていたからである。※後述
 それを見ずに通過すれば後日必ず見に来る羽目になるのは明らかなのでハケの道とは逆方向のそのモニュメントをめざして歩くことにした。

 この先(北方)に遺構がある
 遺構のレプリカ
 写真は当時の道を再現したレプリカで、幅9mの側溝つきの路面は中央部分がすり減って大きく凹んでいるのがよく分かった。
 思いがけない拾い物をした感じで交差点に戻り、国分寺跡に向かう。

 遺構の位置を示す
 側溝 

 東山道は中世に作られた官道の1つ。大化改新(645年)で中央集権確立のため国衙(コクガ・国府)を結ぶ駅馬の基本構想が詔され、養老7年(723年)頃まで長い年月をかけて造られたもので、その行程は近江から美濃・信濃を通り上野・下野を経て陸奥・出羽に至るものである。
 東山道武蔵路は、当初東山道の本道の一部として開通し、のちに支路となった道であり、上野国・下野国から武蔵国を南北方向に通って武蔵国の国府に至る幅12m程の直線道路であった。
 従って、松本市を通る東山道と東山道武蔵路は同レベルで繋がるものではなく、武蔵路はその枝道である。
 

 『東山道』には五畿七道と言う地域区分の1つである国名としての意味があるので混同を避けたい。五幾七道の『畿』とは首都の意味で、京都付近を畿内,京都に接する五カ国(山城,大和,河内,和泉,摂津)を近畿とし、他のエリアを『東海道』『北陸道』『山陽道』『山陰道』『南海道』『西海道』『東山道』とした。東山道は中央山間部から東北までの広域を指す。『道』は北海道の『道』と同じだが北海道が出来たのは明治になってから。