遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

善光寺街道・会田宿から西条駅へ~前

2010-04-26 21:07:28 | 山のあしおと小学校
 善光寺西往還・会田宿
 美しい街並み
 4月25日(日)  参加者;junn1&木偶
 甦る善光寺道
 参加者がjunn1さんと2人だけになったので、善光寺街道の立峠に登って山菜パーティーを,と言う計画を変更して四賀支所から西条駅までを歩くことにする。
 8:30に西条駅に集合,1台を駅駐車場に置いて四賀支所に移動し9:10から歩き始める。

 2002年に善光寺街道を歩く企画を始め、松本城から乱橋までを大勢の子ども達と一緒に歩いてから9年になる。当初は街道のルートがはっきり分からず、あちこち走り廻って調査しているうちに村人に車を覚えられるほど多くの時間と労力を費やしたものである。
 その後、2006年に4年後のご開帳をにらんだ善光寺サミットと言う会議が開かれ、調査隊が組織されて街道をしらみつぶしに調査,翌2007年の善光寺ルネッサンスに引きつがれてご開帳に大きく貢献するなど、近年,街道をめぐる活動が活発に展開される中で、会田宿も整備が進み、街並みが見違えるほどきれいになった。

 道標
 会田宿の食事処『あぶらや』
 さて、歩き始めて最初の信号で街道は左折する。ここに置かれた石の標柱に書かれた『右(?)からし屋』(または『からした』)の意味が分からない。すぐ近くで食事処を営んでいる店の主人に聞いてみると『おや? これはなんだい・!?』と地元の人までもが首を傾げるに及んでこの件は不問となったが、『あぶらや』と言う屋号のその店の主人は、かつて先代か先々代かが立峠に茶店を出しており、『蘭方 正薄荷』と言う万病に効く薬をも売っていた云々~,等と往時の話しをしてくれ、しばし茶屋談義に花を咲かせた。

 会田宿本陣
 峠の始まり
 大阪屋,萬屋と続く海鼠壁の美しい町並みをそぞろ歩いて本陣のあった横内家を過ぎ、道標に導かれて鍵の手を右折していよいよ坂道にかかる。
 かつては刈谷原峠とともに難所とされた立峠(990m)であるが、現在の林道花川原線の登山口(840m)からの登りのみを峠と見れば、その標高差は150m,距離は600mほどで、急登ではあるが長大とは言えない。

 カラタチの生垣美しく
 街並みの向こうに立峠
 しかし今とは道路事情が大きく異なる時代においては、道標のあるこの右折点(610m)を峠の始まりと見るべきであろうと思う。その場合の標高差は380m,距離は峠までが2.8km,乱橋(840m)までは5・0kmとなり、当時の旅人にとっては難所と言える大きな峠であったことが頷けると言うものだ。

 常夜灯,背景は虚空蔵山
 松沢家長屋門
 急坂に沿って並んだ美しい街並みの向こうにめざす立峠と送電鉄塔を望み、また虚空蔵山を背景にスッキリと経つ常夜灯や由緒深そうな松の木を愛でながらゆっくり登り、右手に松沢家長屋門を見送って無量寺に至る。

 無量寺の芭蕉句碑

 芭蕉の『身にしみて 大根からし 秋の風』の句碑のある無量寺。その辺りで先行する2人の女性を追い越す。大町から来たと言う2人は立峠を経て西条駅まで行くと言う。そのうちの1人は、中山道を日本橋から京都まで歩き、また追分の分去れから北国街道を通って善光寺まで歩いたと言い、善光寺西街道は洗馬宿から会田宿までと西条から先を済ませていて、この日西条まで歩くと完結すると言う。
 どちらものんびりの行程なので旅は道連れで同道することになる。1人で歩くことが多い女性にとってはコースによって不安を感ずる場所も少なくないのだそうだ。

 岩井・観音堂
 
 岩井堂の観音堂と磨崖仏
 初めてだという2人を岩井堂の磨崖仏に案内する。観音堂があるのは鷲峰山と言う山の長安寺と言うお寺で、山は険しい岩山となっており、あちこちの岩壁に100体ほどの磨崖仏が彫られているとある。

 立峠登り口

 10:20頃、立峠登り口に着き、本日唯一の登りに備えて休憩。