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薮漕ぎ,鹿の道追い・・・四賀村境界線調査山行~1(2003年6月10日~14日)

2007-06-11 02:05:26 | 踏み跡
矢の沢出発点
オレンジ色の線は市町村の境界線を表す。赤いピンの所が出発点。

四賀村境界線・調査山行の記録~2003年6月10日~14日 
第1行程;執田光~刈谷原峠・稲倉峠

 境界線ハイキング構想を実行に移すことを決断してから、先に刈谷原峠から稲倉峠とその次の無名の峠を経て戸谷峰に至る境界線の踏み跡と戸谷峰から三才山に至る稜線の道を調査し、自分の活動範囲に近い明科町との境界から刈谷原峠への調査はいつでも調べられるという気楽さから後回しにしていた。
 6月7日の新聞で参加を呼びかけたその日から申し込みがあり、希望者はすぐに5~6名に達したので慌てて矢の沢から刈谷原峠までの調査を始める。

6月10日(火)
 新聞の募集記事を見た明科町のYさんが調査に同行して下さることになる。9時半に矢の沢から四賀村の執田光地区に続く道のちょうど境界線に当る沢の入口に車を停める。入口にはうっそうと草が生い茂っていたが、構わず長い柄の造林鎌で草を払いながら入ると、沢の水を引く黒いパイプに沿った踏み跡が見つかった。
 道は取水口まででそこから先は両側が切りたった細い樋状の沢の中を歩く。沢をどこまでも詰めるのが本来だが早く尾根に出たかったので尾根に上がる取りつき点を探す。
 沢をはさむ両側の斜面には人の踏み後はない代わりに無数の鹿の足跡があった。鹿が何度も水を飲みに通ったためか、中にはしっかりした道のようになっているものがあって、そういうはっきりした踏み跡の一つをたよりに崖のような斜面をよじ登って南側の尾根に這い上がる。
 斜面を登り切れば尾根に出られて南側の執田光の集落が確認できるという予想に反して、そこは尾根というよりなだらかな平面で、木立に視界を阻まれて展望が利かなかった。執田光の一番上のリンゴ農家の上の尾根に出るだろうという予測は外れ、思ったより北側の明科寄りにいるらしいことがわかる。
 交錯するいくつかの踏み跡を拾いながら登って行くと道はやがて一本にまとまり、ほどなくそれが地元の人達が烏帽子と呼んでいるピークに続く道であることに気づく。
烏帽子
赤いピンの先,天平の森のすぐ東の直角に折れ曲がった所が烏帽子で、そこから林道と並行して南進する。

  かつて矢の沢と田沢が上川手という同じ行政区であった頃,矢の沢の人達が光城山を経て田沢へ通った道の一部である。その道は烏帽子のピークを巻いて子ノ神に近道するが、境界線はピークを通っている。矢の沢から1時間かかって10時30分,烏帽子(910m)に着く。
 烏帽子から林道に出て入山点の車まで40分程歩いて戻り、Yさんと分かれて子ノ神に車をまわし、そこから逆に踏み跡を辿ることにする。この道ははっきりした踏み跡として残ってはいるが、歩く人がめったにいないせいか薮が被っていて歩きにくいので造林鎌で薮を切り開きながら歩く。
  途中で迷って四賀側をぐるっとリングしてしまい、1時間を無駄に費やしたりしながらようやく道を切り開く。2度ほど林道に出ざるを得ない所があり、そこで切り上げて次に向かう。

 第1行程で不確定なルートが2ヶ所あり、それが最大の不安要素である。その1つが子ノ神から中谷地区へ至る林道の途中から四賀村の十二沢林道の西に向かってつけられた直線の部分である。はじめ、この直線部分の起点を読み違えていて天平林道上の光城山の南側あたりで豊科町高萩地区へつながる道と境界線を表す標識を探したが見つからず、一旦県道に出て大口沢から国道143号にまわり、中谷地区から高萩に入って境界線を探そうとした。
 この林道は大型ゴミの不法投棄を警戒して「進入禁止」となっていたが無視して進入する。道はやがて舗装も切れ、轍の間の草をなぎ倒しながら進むという心細い状況になった。
 自分が今どこを走っているか分からないまま走ること20分あまり,突然右手に家が現れ、T字路にぶつかった。何となく見覚えがある気がして左折すると50m程で舗装された林道に出たが、何とそこは先ほど車を停めていた子ノ神の分岐点だった。つまり、子ノ神から天平林道,県道,国道,林道中谷~子ノ神線をぐるっとひと周りしたのだった。
 そこで初めて直線部分の起点となる林道を読み違えていたことに気づく。失敗に苦笑しつつ、起点の発見の可能性に安堵して後日の調査に託し、この日の調査を終える。
子ノ神
 赤いピンの先が子ノ神



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