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薮漕ぎ,鹿の道追い~3(2003年6月11日)

2007-06-12 02:41:17 | 踏み跡
マツタケ山
 赤ピンの先から再び山道に入る。

  その入口は十二沢林道が尾根を避けて北東に大きく曲がる手前にあった。そこに車を置いて再び歩き始める。赤松の多いその山は松茸が豊富に産出する所らしく、いたるところに「松茸止山」「入山者は罰金○○万円いただきます」の張り紙があった。
  道ははっきりしているが、シーズン外れなので薮が被っている。あまりにひどいところだけ少し薮を払ったりして進むと大きな松の倒木があり、それを避けて林の中をくぐり抜けるとひょっこりと松茸用の作業(監視?)場らしい小屋のある場所に出た。
マツタケ2
 赤ピンが小屋のある場所。ここから西に向かって車の入れる道がのびていた。

  そこからは車で入れる道が西に向かっているが、境界線は左手の鉄条網で囲われた松茸山に沿って進む。5分ほどで分岐点に到達し、右折(南東進)するとよく手入れされた松茸山の丸い尾根に出る。R143を走る車の音が聞こえるようになるあたりまで下ると作業小屋がもう一つあり、その横を通って2分ほどで豊科葬祭センターの道に出る。
 松茸の止め山を歩くのはシーズン外れとは言え気が引けるが、境界線という幾分かの公共性に免じて歩かせてもらうことにする。
矢の沢から国道143号まで、2つの問題点は残したものの一応これでルートがつながったので、次の課題である馬飼峠へのルート調査に向かう。
豊科葬祭センター
 赤ピンの先が豊科葬祭センターの入り口に当たるR143の降り口。ここから国道を横切って反対側の谷に下りる。

  国道の四賀村と豊科町の境界標識のある駐車スペースから適当に下の沢に向かって下る。道はなく、谷底に辿り着いて振り仰ぐとはるか高いところで車の音がした。沢には殆ど水はなく、丈余の草が繁っており、草をかき分けて反対側の斜面の取りつきを探す。

  どこを見ても崖である。むき出しになった松の根を頼りによじ登って木のある所に身を置くと汗が噴き出した。来た道を引き返すしんどさを思い煩いながらも上へ上へと登り、国道が見える高さにまで達した時、引き返すより進む気になった。
 そこから激しい登りが続いた。登るほどに傾斜が緩くなるはずだという期待を何度も裏切られながらようやく尾根に辿り着き、標識を発見。これを左折して20分も歩けば馬飼峠に着くと小躍りしてぐんぐん進むと国道を走る車の音が近くなってきた。そこまできて間違いに気づき引き返す。地図を見れば分かることなのに一瞥した時の思い込みで歩いているとこうなる。
馬飼峠
 赤ピンの所でオレンジ色の境界線ラインは一条ヶ峰に向かっている。これは四賀村が松本市に吸収合併されて境界線が変わったためで、当時の旧四賀村の境界線は馬飼峠に向かっていたのである。

 はっきりした踏み跡と所々にある標識のおかげでルートに関する不安はなかったが、そこから先の登りは長かった。やがて送電線の保線道の階段が現れ、それを登って降りると小さな峠に出た。馬飼峠を示すものは何もなかったが、状況から考えるとそれは目指す峠に違いなかった。
 時刻15時半。車を降りて歩き始めたのが12時半。国道から降り始めたのが13時過ぎだったから2時間近い登りだったということだ。国道から馬飼峠までを30分しか見込んでいなかったのが大きな誤算となり、第1行程で刈谷原峠までという計画が絶望的になってきた。
  馬飼峠から刈谷原峠への調査は後日にまわしてこの日の調査を終えることにしたが、帰りをどうするかで迷った。峠からは送電線に沿って錦部方面に向かう道があるが、この道はうんざりするほど長い。かと言って今登ってきた道を下ってまた谷底から国道まで登り返すのはもっと辛いので送電線に沿って錦部への道を選ぶ。
刈谷原トンネルへ
 馬飼峠から赤ピンが示す点線の道を歩いてR143の刈谷原トンネルへ向かう。

 この道からはKDDIの正三二面体の特異な形をした電波塔が目印になって、この日歩いたコースのほぼ全体を望むことができた。車のある位置も大まかに掴むことができたがそれはあまりにも遠かった。
 この道はまた境界線とほぼ並行して北進しているので、歩きながら国道から馬飼峠への長い長い尾根の全貌を真横から見ることもできた。
  1時間以上歩いて国道の下降点に戻り、そこから山道を登り返して17時05分に車に戻る。
刈谷原トンネル
 この地図の中に後半の行程が全部入っている。馬飼峠から刈谷原トンネル(赤ピン)までの道がオレンジ色の境界線とぴったり並行しているのがよくわかる。



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