photo by nakamoto
by deku
剣岳北方稜線縦走の記録
2002年年8月3日(土)~6日(火)
記録者:木偶野呂馬/同行者:広島佐伯FHC;小形(CL),中本,藤井
8月3日(土)
欅平へ
2:15,明科発。豊科IC近くのGSで満タン後,オリンピック道路をノンストップで大町,大町からはR147~R148で糸魚川へ。深夜で殆ど信号なく、にぎり飯を頬張りながら走って3:55に糸魚川ICから北陸道。越中境PAで休憩,黒部ICで降りて5:00,宇奈月の黒部渓谷鉄道P着。
広い駐車場には神戸ナンバーのワゴン車の他、2台の車のグループが駅が開くのを待っているのみ。駅はまだ開いておらず、4~5人のグループがベンチや路上でシュラフにくるまって寝ている。
荷づくり,パッキングして駅のシャッター前にザックを置き、ベンチで4つ目のおにぎりを食べる。6時過ぎに駅の扉が開き、切符の発売窓口へ移動。6:50,切符の発売開始。4人分の切符を買う。広島の3人は4:50に富山に着いてこちらに向かっているところで、先刻藤井から富山駅5:32の電車に乗ると入電があったきり、その後は応答無し。
駅の写真を撮ろうとしてバッテリー切れに気づき慌てて写真屋を探す。使えないカメラを持ち歩く羽目になるところ、あやうくセーフ。
7:11と:20に工事用列車が出た後、7:20に3人と合流。すぐにトロッコ列車に乗り込む。列車は全部で13両あり、自分達は7両目に乗る。客は少なくゆったりしている。20数年前に美女平~室堂経由で剣沢に入り、剣岳登頂後、剣沢から下って仙人小屋泊,水平道を欅平まで歩いてトロッコで宇奈月まで出た時以来。
7:32発。列車はガタゴトと音を立てながら渓谷に沿ってゆっくり進み、次第に渓谷美と涼味が増していく。トンネルに入ると寒いくらいである。この渓谷美と涼味が人気の所以であり紅葉の季節には満杯になるに違いあるまいと思われた。
1時間15分かかって8:47欅平着。欅平は大勢の人で溢れているが、その多くは観光客で登山者と思われるグループは少なく、いくつかのハイキングスタイルのグループがあったが、みなそれぞれどこかへ散って行き、自分達だけが阿曽原をめざすこととなった。
by naka
deku
水平道を阿曽原へ
9:20発。水平道までいきなり200mの急登は荷物が体になじんでいなくてつらい。顔を合わすなり『何が入っているのか』と藤井に笑われたザックには、初日に3人に食べてもらおうと用意した生果や野菜が詰まっていて重いが、水平道までの辛抱だ。
9:42鉄塔通過。同49『水平道へあと 200m』の表示。折り返して休憩。汗がしたたり落ちる。日なたは猛暑だが木陰はひんやりしていて落差が大きい。ヤマアジサイの花が涼を添えている。
10:15分発。10分で水平道に入る。ここまでの登りの途中で振り返ると、左手上方に白馬旭岳と思われる山が見え、その左に頭を雲に隠した山が白馬岳ではないかと思われた。口に出しても誰からも反応がなく自分でも半信半疑だったが、水平道に入ってまもなく前方左手に鹿島槍が見え、目の前の奥鐘山に邪魔されて五竜,唐松は見えないものの、不帰ノ嶮,天狗の大下り,白馬鑓と連なる後立山連峰の稜線が見えるに至ってその推測が正しかったと確信する。遠くまで来たようでもここは白馬岳の直下なのだ。
10:35小休止。おにぎり1個と水。同50発。起伏の多かった道がこの当りから文字通りの水平な道となる。黙々と歩くこと1時間,下の方からは欅平の駅のアナウンスがいつまでも聞こえていてちっとも進んだ気がしない。
道がほぼ直角に右折する。せり出した大岩に張り出すように取りつけられた鉄板の道を通過すると、谷を隔てた向う側の岩壁にくっきりと一直線に穿たれた水平の道が見える。それはこれから歩く道である。つまり道はこれから志合谷の谷奥に向かってその最深部まで進み、折り返した後、目の前わずか100mほどのところに見えている水平な溝のようなその道へとつながるのである。横から見れば一直線のその道は、地図で見る等高線のようにギザギザな襞を忠実に辿っており、我々はどこまでもその等高線に沿って屈曲を繰り返しながら進むしかないのだ。
ただただ歩くだけのその道すがら頭の中では様々なことを考える。
昔の山道は規模の大小はあるもののこのように山襞に沿いながら少しづつ高度を上げていく道だった。現代の道は谷の部分に橋を架け、岬の部分は削るかトンネルを穿ってかなり強引につくる。今も昔も道の第一義的役割は人々の往来と物資の輸送と言う生活道路として側面であり、多くの人々はそれを望んでいる。だが道にはそぞろ歩くことを楽しむという側面もある。
自然のあり様に逆らわずにつくられた昔の道は、歩くことを楽しむのに適していると言えようか。しかし今歩いているこの道はそぞろ歩くという限度を超えている。ダム建設のためにつくられたこの道が自然のあり様にさからえなかったのは、単に技術的,経済的な問題であろうか・・。橋を架ければ3分で渡れる所を、かつてダム建設の資材を運んだ人達は小1時間もかかって歩いたのだ。できることなら対岸までひと跳びにワ-プしたいという思いは我々以上に強かったに違いあるまい。
志合谷トンネル deku
deku
そんな思いを巡らせながら歩く私達に最高のプレゼントが待っていた。志合谷最奥部は雪渓で、そのためそこにはトンネルが穿たれている。そのトンネルから手の切れるような冷たい水が溢れるように湧き出ているのだ。12時丁度にそのトンネルの入口に着いて荷を下ろし大休止。冷たい水を飲み、瓢箪型タンクに詰める。
小形は愛妻弁当をぱくつき、他のメンバーも行動食を出して食べる。生ものを少しでも減らしたいので郷里から送ってきたアナゴの蒲焼きを取り出して全員に配り好評を得る。
反対側から単独の人がトンネルに入ったのを見て道を空けて待ったがなかなか出てこないので『ランプをつけてないのか』と訝る。以前このトンネルを逆に歩いた時はヘッドランプがザックの底にあって、面倒なのでそのまま入ったら真っ暗で1歩も進めなかったことを思いだし、今回は早目にランプを用意する。20分ほどして出てきた大柄な男性は『頭を岩にぶつけた』と言い額に血をにじませていた。
12:25発。ヘッドランプがあってもすたすた歩ける道ではない。壁がランプの光で銀色に光ったがその正体は不明。10分でトンネル通過。ここまで3時間。残りも3時間くらいでここがほぼ中間点と思われた。
deku
この辺りで岩壁をえぐってできた道を歩いている様子を撮るためしばしば立ち止まる。志合谷を越えると、道が今度は逆に黒部川に向かって岬のように突き出していて、そのため黒部川はこの岬の裾を回り込むように大きく左に折れる。その突端には大太鼓という呼称がつけられている。そこから欅平の駅舎が見えたのには驚いたが、そこを最後に駅からの音はぷっつりと途絶え欅平からは完全に縁が切れた。