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今日は「シチセキの節供」

2009年07月07日 | うんちく・小ネタ

「七夕の節供」はどう読むの?
七夕の節供と書けば、皆さんは普通に「たなばたのせっく」と読むと思いますが、「七夕」と書いて「たなばた」と読むことを不思議だと思ったことはありませんか?

七夕の節供を知らなければ、「七夕」と書いて「たなばた」と読めるとは思いませんよね。
実は節供の名前としては

「シチセキの節供」

と読むのが本来で、たなばたの節供という読みは、日本にあった古い行事から生まれた読みなのです。

七夕の節供は他の五節句(人日・上巳・端午・重陽)とともに中国から伝来した行事です。

ところが、七夕の節供が伝来した時代にはすでに、七夕の節供の行われる七月七日には別の行事があったのです。
それが「たなばた」の語源となったといわれる「棚機都女(たなばたつめ)」の行事です。

棚機都女の行事というのは、祖先崇拝の行事で、水辺(禊ぎのためと思われます)に小屋を建て、祖先に捧げる布を織ってこの小屋の棚に載せたというのがその内容です。

棚機都女はこの祖先に捧げる布を織る女性のことで、その織物を織る機織り機が棚機とだったのです。
また、一説には祖先に捧げる布を水辺の小屋の「棚」に供えるからとも言われますが、これだと「棚」の意味が弱い気がするので、「棚機」という機織り機だったと思っています。(私説)

中国から五節供の行事が伝わってくると、その中の七夕は、これが行われる同じ時期にすでに「棚機都女」の行事がありました。そのうえ、両者には目立った共通点があります。それが織女と棚機都女。どちらも水辺(織女は天の川のほとり)で機を織っている女性ということです。

中国から入って来た行事は宮中といったトップの人々から広がり始めたと考えられますが、それが広がって行く途中で、それまであちこちで既に行われていた土着の行事である棚機都女の行事と、内容的にも類似点が有ることから、意味が混同されつつ、日本の年中行事として浸透していったものと考えられます。

そしていつしか、「シチセキの節供」が「たなばたの節供」と呼ばれるようになり、「七夕」を「たなばた」と読む不思議な読みが定着してしまった・・・ようです。


週に一度の更新を目指していますが、予想以上に多くの方に訪問して戴いたようで、感激しています。
七夕からスタートしましたので、もう一説、今日中にと掲載します。

どうかこれからも、ご贔屓にあずかれますように。                                    

    

                                                                                                                           

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