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三年不蜚不鳴

2009年11月16日 | うんちく・小ネタ

 

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月刊「スタジオヴォイス」(サブカルチャー誌)が休刊となりました。販売部数と広告売り上げが減少したためだそうです。1976年創刊ですから、ひとつの歴史がいったん幕をおろすようで、寂しい思いを抱いてしまいます。
ただ、救いは、廃刊ではなく休刊ということでしょうか。                                

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                                                                  そのことで、この言葉を思い出しました。

鳴かず飛ばず

広辞苑で調べると、
 
【鳴かず飛ばず】(なかず とばず)
(史記楚世家「三年不蜚不鳴」による)
将来の活躍にそなえて何もしないでじっと機会を待っているさま。現在では、長いこと何も活躍しないでいることを軽蔑していうことが多い。

《広辞苑・第五版》

言葉の中には、その言葉だけでは何のことだか意味がわからないけれど、その言葉にまつわる故事を知れば、ああなるほどと了解出来るものがあります。この「鳴かず飛ばず」もそうした言葉の一つだと思います。
元は「三年不蜚不鳴」ですから、「三年蜚(と)ばず、鳴かず」となるべきでしょうが、現在はもっぱら「鳴かず飛ばず」と使っているようです。

休刊というのは、この「泣かず飛ばず」の本来の意味に近いような気がします。

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広辞苑にあった史記楚世家「三年不蜚不鳴」ですが、春秋五覇の一人にも数えられる楚の荘王は、即位直後に皇族の謀反にあって拘束されたことがあります。幸いその謀反は首謀者が殺され、荘王も救いだされて決着しましたが、助かった荘王はこの事件が有ってから、政務を顧みず日夜遊興に耽るようになってしまいました。その間、発した命令といえば、

「王たる自分に、諫言などする者は全て誅殺してしまう」

という訓令だけ。当時の君主は家臣の生殺与奪権を持った存在ですから、いくら無茶な命令だとは判っていても、本当に実行されるかも知れないと考えると、王の所業を諫めるものはいなかったようです。

      Ab荘王                                                                                    

王が政務を顧みなくなると、直ぐに国が動かなくなるかというとそうでもありませんでした。年若い君主など遊びほうけていてくれた方が、よっぽど楽だという大臣や官僚たちも多く、これ幸いと自分たちに都合の良いように国を動かし始めました。
こんな状態でもすぐには大きな問題は生じなかったでしょうが、長引くと国を私物化する者たちが現れ、政治は乱れ始めます。そして三年。伍挙(ごきょ)いう家臣が遊興に耽る荘王の前に立って、

「王に、一つ謎かけをいたしたいと思います。ここに一羽のの鳥がいます。三年の間飛びもしません。鳴くこともありません。この鳥はいったい何という鳥でしょう?」

と謎々をだします。
この謎かけの言葉が・・・「三年蜚ばず、鳴かず」です。
この謎かけに

「三年飛ばない鳥なら、ひとたび飛べばきっと天まで達するだろう。三年鳴かない鳥なら、ひとたび鳴けばみなが驚く声を出すだろう。お前のいいたいことはわかった。もうしばらく待て」

と答えます。さらに王の遊興はしばらく続きますが、ついに死刑の訓令を恐れず蘇従という大夫が王に直諌するに至たって、荘王は遊興をぴたりと止め、親政を開始しました。
親政の始めまず行ったことは三年の間に国政を私物化したような大臣官僚を一掃し、その間もしっかりした仕事を続けた人物を重用することでした。

荘王にとって、三年の遊興の期間は若年の君主である自分が国を導いて行く上で害になる人物と有用な人物とを振るいにかけるためのテスト期間でした。
荘王はこのテストに合格した家臣達を使って楚の国を強国に発展させました。
荘王が重用した人物の中心に伍挙、蘇従がいたことはいうまでもありません。

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                                                                 この故事からすると、この言葉は辞書の説明の

「将来の活躍にそなえて何もしないで、じっと機会を待っているさま」
                                                                  が本来意の意味なのでしょうが、その説明の後に続く

「現在では、長いこと何も活躍しないでいることを軽蔑していうことが多い」
 
という使い方になってしまっているようです。ちょっと寂しいですね。

この世の中でどうにもならないもののひとつが「時代」だと言います。
その「時代」はどんどん進化していくものと、回り回ってまた戻ってくるものとがあります。

考え方ひとつですが、「スタジオヴォイス」とて、休刊は廃刊ではないのですから(基本的に・・)時代が追いつくか、もしくは新たなる時代の寵児として求められる時が来るやもしれません。逆に言えば、 “いつか” の時に、“そこだ” という内容で登場させられる『機会』を見つけられるかも知れません。

憂いてばかりいられない時代です。

先を見つめて頑張るしかないなぁと、思い知らされました。

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