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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ガス人間第一号

2008年01月16日 23時46分36秒 | MOVIE
 こちらは変身人間シリーズの中では、表向き一番地味な作品であるが、なかなか味わい深い異色な仕上がりだ。ここで登場するガス人間が犯行を犯すのは復讐だとか変身故の狂気ではなく、落ちぶれた日本舞踊の若き家元のために、いわばパトロンとなるために銀行強盗をするのだ。つまり完全にまっとうな理性をもった人間として登場する訳だが、復讐にとりつかれて狂気のようになってしまった電送人間とは違い、その根底にあるのが恋愛感情ということで、作品自体も抑圧的な情緒が漂っていて独特な雰囲気がある。ガス人間に扮するのは土屋嘉男で、今の視点からすると「真打ち登場」という感じだが、当時は中丸忠雄も土湯嘉男もこういう映画だからこそメインに抜擢されたバイプレイヤーであったはずだが、この家元を演じるのが若き日の八千草薫の浮世離れした純和風な美しさが、この作品独特のスタティックに雰囲気を大きく盛り上げている。

 ちなみに主演は三橋達也で、「虎の牙」ももうすぐそこ....という感じの軽快でスマートな刑事役をそつなくこなしているが、どちらかといえば彼の恋人役となった佐多契子のはつらつとした美しさの方が際だっていたと思う。三橋達也が「虎の牙」寸前なら、多契子の役は、星由里子で頂点を極めた東宝ビューティーの典型だと思う。なにしろ東宝は日本のバラマウント映画みたいな会社だったので、女優さんたちはおしなべて都会的な明るさと勝ち気なところをチャームポイントとして描くことが多かったけれど、彼女もそうした流れでみると、ああ東宝だなぁ....と思ったりする。いずれにしても、この作品、土屋嘉男と三橋達也、八千草薫と佐多契子がそれぞれ陰と陽のような関係になっていて、ふたつが錯綜してドラマが進んでいくのだけれど(そのままメロドラマにしちゃってもいいんじゃないかと思うような仕上がりですらある)、それにガス人間という特撮、そして銀行強盗という要素も加わる訳で、やはりそれを破綻なく演出した本多猪四郎の腕は確かだったと思う。
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看板に偽りあり

2008年01月15日 23時45分03秒 | others
こんなこと書くと怒られるかもしれないが、昨今の食品の偽装問題とか、このところ大きな話題になりかけている「年賀再生紙はがき」の古紙配合率が規定を下回っていた問題とか、ハタでみていると、なんかバカみたいというか、なんでこんなことをヒステリックに大騒ぎすんの?とか思わないでもない。そりゃもちろん看板に偽りがあれば、偽った側はしかるべき制裁を受けて当然なんだけど、なんかもう十分受けてるような気もするし、果たして官憲がでてきて、お縄にするほどの問題なんだろうかと思ったりするんだよね。だってさ、そういうことを偽装していて、誰も気がつかなったんでしょ。例えば船場吉兆の食い物とか、「さすがに老舗だ」といって、みんなブランドに踊らされて「うまい、うまい」とか思いながら食っていたんだよね。それを見抜けなかった消費者の味覚ってなんなのさ(そういう問題じゃないか-笑)。食って病人が出たとか食中毒が出たとかいうなら、また違うんだろうけど、もうこれくらいで十分じゃん....とか思ったりする訳ですよ。

 古紙配合率なんてのも、結果的には品質をアップして出荷してたんだよね。「それで糾弾されたんじゃたまんねー」とかメーカーは密かに思っているんじゃないのかな。そもそも再生紙使うのって、そんなに「地球環境にやさしい」もんなのか。再生紙を作るのは地球環境に厳しくないのかな、とかいつも思っちゃう。それにうちの職場なんか絵に描いたようにそうだったんだけど、再生紙とかいうと人間って安心しちゃって、ジャカスカ使ってしまうんだよね。ヴァージン・パルプ使用だから、大事に使いましょうとかいってた時の方が、紙の使用率は断然少なかった絶対に....。その両者を秤にかけたらどっちが「地球環境にやさしい」のかとかいったら、微妙なもんがあるのではないかと思ったりするんだけど、どうだろう?。
 あっ、話が変な方向にいってしまったけれど、こうした「看板に偽りあり」って、あんまりガッチガッチに規制かけていくと、結局、誰も信じてない建前がひとり歩きするみたいな、妙な二重構造を生んで、結局のところ画一的で息苦しい世界になっちゃうような気がするんだよなぁ。
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電送人間

2008年01月14日 01時17分37秒 | MOVIE
 東宝の変身人間シリースの中では昔から一番印象が薄いというか、あまりおもしろく観た記憶がない作品がこれ、この正月に観たものである。主演は東宝時代の鶴田浩二だし、変身人間役に中丸忠雄、主人公の恋人役に白川由美とけっこう配役的にはユニークだし、終戦の動乱の時に生まれた電送人間というアイデアも悪くないと思うのだが、どうも電送人間ぶりといい、ドラマの流れといい、これだというインパクトがないんだよなぁ(とはいえ、今回が一番楽しめたような気がしたのは、やはり液晶テレビ効果だろうか)。このあたりの原因を考えるに、やはり演出がいつも本多猪四郎ではなく、当時新鋭だった福田純だったことの影響が大きいように感じる。

 福田はこの後、特撮物でゴジラ・シリーズなども何本か手がけているが、申し訳ないけれどおもしろいと思った作品がない。この人の演出は軽快なテンポと小気味よさのようなものがあるけれど、ドラマがいつも成り行き任せみたいなところがあるし、ドラマ自体の演出も妙にそっけないのが、いつも不満に感じるのだ。ひょっとすると、世代的にヌーベル・ヴァーグ的な感覚だったのかもしれないけれど、例えばこの作品でも、どうして終戦間際の金塊強奪の犠牲者という怨念がいつの間にか、単なるサイコな殺人鬼になってしまったのかよくわからないし、白川由美と鶴田浩二はどうなったんだ....とかいろいろつっこみを入れてみたくなってしまう。きっと本多が演出したらもっと重厚で陰湿な怪奇ミステリーのような作品になったと思う。

 音楽は池野成、私は馴染みの薄い人だが、なんでも伊福部先生の弟子だそうだ。ただし、先生とは作風はかなり違っていて、こういうサントラ作品という性格を差し引いたとしても、かなりモダンな響きに満ち満ちた音楽を展開しているのはおもしろい。全編に渡って馴染みやすい旋律とかはほとんどなく、鬱蒼として粘着したなモヤモヤとした響きが充満していて、音楽的には無調、ひょっとすると12音的な技法で作曲されているような気がする。まぁ、そういう音楽でなので一瞬ベルクを聴いているような気がしたりするほどだけど、こういう映画であれば、もうすこし下世話な情緒があっても良かったかなぁと思う。
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Produced By Trevor Horn <DVD>

2008年01月13日 21時28分51秒 | ROCK-POP
 2004年11月のプリンス・トラスト・コンサートのDVD。私はこの皇太子が主催するとかいう慈善コンサートが、毎年どういう経緯で出演者を選定し、また企画されるのか、よく知らないのだけれど、とにかくこの年はトレヴァー・ホーンの25周年記念コンサートだったようで、このディスクはその時の模様をほぼフルに収録したものである。
 トレバーホーンはミュージシャンとしてはベースとヴォーカルをやってきた人だが、なんといってもプロデューサー業で有名になった人なので、最初こそバグルスのベーシスト&ヴォーカルとしてメインで出てくるものの、その後は彼がプロデュースしたアーティストが、ほぼ歴史順に次々に登場して来るという趣向になっている。おそらく純イギリス的なセンスがベースになったコンサートなので、ワールドワイドな視点でみると、地味なコンサートかもしれないけれど、私のようなブリティッシュ・ロック愛好家にとっては、かなり凄いメンツではある。

 冒頭のバグルスはキーボードのジェフ・ダウンズはもちろんだが、アルバムにはクレジットされなかったブルース・ウーリーが参加しての完全オリジナル・メンバー、しかもバック・コーラスの2人はオリジナル・レコーディングに参加したメンバーも擁しているから最初から気合いが入っている。おまけにほぼ全ステージを通じて、バックを固める面々にはアン・ダッドリー、ロル・クレーム、フィル・パーマー、アラン・ホワイト、スティーブ・リブソンなど、実に渋すぎる面々が陣取っているのだから、これはもう観ていてつまんない訳がない。
 主要なゲスト陣を拾っていくと、まずはABCだが、マーティン・フライだけかなと思っていたら、女性ボーカルなどもいる現行ABCらしき布陣で、背後になんとデビッド・パーマーが居たのには驚いた。この人の超ジャストなドラムは今も健在だ。マーティン・フライは大分太ったが、パーマーの風貌も昔と変わらないのは驚き。続く、プロパガンダもオリジナルの4人で登場、実は動くプロパガンダを観るのは初めてなのだが、フロントの2人は、当時のような過激な風情ではなく、何故か行儀の良いコンパニンオンみたいな格好しているのがおもしろかった。

 イエスはジョン・アンダーソンがトニー・ケイがおらず、トレバー・ラビンが歌い、キーボードにジェフ・ダウンズが加わり、そこに何故かスティーブ・ハウも加わった、変形9012イエスのラインナップ(もうなんでもありって感じだな)での演奏。ペット・ショプ・ボーイズにはアート・オブ・ノイズの「ドビッュシーの誘惑」で入っていたオペラティックなソプラノの加わる趣向。ベル・セバスチャン&ベルは今時な脱色フォーク系ギターバンドだが、ちと浮き気味だったかも。また、Tatuはこういうプロフェッショナル集団の中では、新鮮なんだか場違いなんだかわからないところあったが、まぁ、ヘル・セバスチャン共々ひとつのアクセントにはなっていた。
 後半のハイライトとなるシールはもう貫禄というしかないパフォーマンスで、コンサートの音楽ムードをビシっとしめていたという感じ。再結成FGTHはホリー・ジョンソンがいないのはちと残念だが、新ヴォーカルはけっこうホリー・ジョンソンに声質にけっこう似ているためそれほど違和感はなかったと思う。ただ、まぁ、この賑々しいコンサートのトリにはちと役不足だったかも....といった感はなくもなかったが。

 個人的にやはり一番見所だったのは、アート・オブ・ノイズがオール生弾きで挑戦する「クロース・トェ・ジ・エディット」と、同様にほぼ生弾き状態で(しかもオーケストラが付く)、プロパンダがパフォーマンスする「マブーセ」あたりだったろうか。サンプリング音源は昔のものをそのまま使っているところも多いのだが、ほとんど生で弾いているところがミソで、何でもこだわるホーンがここでは、「メカニックな機械音を生のグルーブ演奏する」ことにこだわった結果だったのだろう。再結成AoNもそういうところはあったが、非常のおもしろくかつ楽しいパフォーマンスになっていた。という訳で非常に楽しめた1枚。
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LIVING SILENT NSK2480 <PC> II

2008年01月12日 14時52分28秒 | PC+AUDIO
 本日は出張があったので、帰宅した夕方から引き続き「LIVING SILENT NSK2480」のインストールその他の作業にとりかかる。なにしろ、このパソコンは写真を見て分かるように大型のCDプレイヤーのような外観を持った横置きの代物なので、ラックに入れてしまうのが前提であり、それまでラックの前に無様に直置きしている状態は非常に落ち着かないので、とにもかくにもラックに設置してしまいたい訳だ。今回のパソコンはあまり沢山のアプリケーションを入れるつもりはなく、とにかくWEBとゲームが出来、たまにCDでも焼ければいいという感じなので、OfficeSuiteやAtokといった真っ先に入れるソフトを珍しく除外した。なので、一番時間を費やしたのはオンラインゲームのFFXIである。なにしろこのゲーム、POLというシェルになっているような管理ソフトを入れ、FFXI本体、ジラート、プロマシア、アトルガン、アルタナと6つものソフトを次々に入れ、しかも、その後、軽く2時間はかかるアップデートをしなければいけないのだ。このゲームのインストールのしんどさはもう何度も書いているが、PS2で2回、パソコンでもこれで2回目となる訳で、もはや慣れてきた自分が怖い(笑)。

 さて、そのFFXIのインストールも終了したところで(マクロや単語登録といった膨大な作業は未だ手つかずだが....)、ようやくラックに設置した。これもなかなかしんどい力作業なのだが(笑)、これについては省略。とにかくパソコンはラックの右下にめでたく鎮座した。本当に大型のCDプレイヤーのようである。全く違和感がない。リヴィングPCとはよく云ったもんだと思う。ちょっと残念だったのは、このパソコンと液晶テレビとをHDIM接続できなかったことで、DVI-HDIMして接続すると、何故か変換パソコンはBIOS画面で起動が停止してしまうので、諦めてコンポーネント接続とした点くらいか。DVI-HDIM変換がまずいのかとも思い、HDIM端子のあるグラボでも試してみたのが、これでも結果は全く同じ。MT6000の時はGF6600GTをDVI-HDIM変換して全く問題なかったので、少々悔しいのだが、こういうのはハマるとそれこそドツボになってしまうのは分かり切っているので、今回は諦めることとした。とりあえずパソコンの画面ならコンポーネントでも十二分にきれいだし....。
 という訳で、液晶テレビでWebを映して何が楽しいかといえば、ゲームはともかくニュースを様々なサイトで新聞代わりに読む、テレビ代わりにYouTubeを楽しむといったところは、予想外に楽しかった。特に後者はYouTubeの小さな画面が逆に幸いして、気楽にあれこれ楽しめるのがいい。
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LIVING SILENT NSK2480 <PC>

2008年01月11日 23時31分18秒 | PC+AUDIO
 液晶テレビにパソコンを繋げた話は年末にさらっと書いたのだけれど、実はあれは繋げた後、「こりゃ使い物にならないな」とほとんど放置してあった。何故かというと、液晶テレビ用のパソコンは、昨年の5月くらいまで職場で使っていたエプソンのMT6000を流用したのだが、これを自分の部屋で稼働させたところ騒音が大きすぎたのだ。なにしろこの部屋は狭くてゴミゴミしたむさ苦しいところではあるけれど、オーディオシステムが鎮座しているので、あまりデカイ騒音は御法度なのである。「こんなパソコンの騒音くらいなんだ」と思われるかもしれないが、東芝のHDレコーダーのファン音すら気になる人間としては、MT6000のノイズは閾値を完全に超えていたという訳である。ところが、一度、40インチの画面で見たウェブの広々とした快感は忘れがたい。既にPS2を外してしまったのでオンラインゲームであるFFXIをやる術がなくなってしまう....などなどの理由から、実は年末にこのパソコンを注文してあって、それがようやく本日届いたという訳である。

 このパソコンのキーワードは静音である。もう自分で組み立てるのが面倒くさいので、Webで探したところ、そういうパソコンを専門に組み立てて販売している会社がいくつもあり、そこのひとつに注文した。グラボ、CPUはファンレスで筐体のファンも比較的に大きめなもの二基がゆっくり回転するタイプで、騒音は15dbくらいだと書いてあった。スペック的には、もうあまりお金をかける余裕もないので(なにしろ予算は10万ちょいくらいだから-笑)、あまり欲張っていない。まぁ、奢った点といえば、今回乗せるOSはWinXPではあるが、一応、WinVistaを乗せることも考えてメモリ2GB、AVアンプに-USB経由ではなく-直に光ケーブルでつなぐために、ONKYOのSE-90PCIというオーディオ・ボードつけたくらいで、中の下くらいだろうか。
 とりあえず、現在OSをインストール中であるが、気になる騒音はというと....?。これはもう素晴らしいとしかいいようがない。ファンの音はほぼ皆無であり、実質、ハードディスクのカリカリ音しか聞こえないというレベルだから、これはもう大満足である

<システム内容>
ケース:LIVING SILENT NSK2480
マザーボード:GIGABYTE GA-G33M-DS2R (Intel G33+ICH9R)
CPU:Intel Core2 Duo E6550 (2.33GHz/Cache4MB/FSB1333MHz/Conroe)
メモリー:1GB DDR2/667MHz PC2-5300 DIMM x 2枚 (total 2GB)
ビデオカード:GIGABYTE GV-NX84G256HE
5インチベイ1:LITEON DH-20A3S
3.5インチステルスベイ:Seagate ST3320620AS
PCIバス:ONKYO SE-90PCI
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岡嶋裕史/iPhone -衝撃のビジネスモデル-

2008年01月10日 23時06分43秒 | Books
 私は技術者ではないけれど、ネットでのあれこれを生業にしている人間なので、しばらく前にWeb2.0とかロングテールだとかそういうものは、けっこう以前から興味があったのだけれど、しばらく前にちょっとしたベストセラーになった(?)「ウェブ進化論(梅田望夫)」という本をけっこう早く読んだクチである。この本は前述のWeb2.0とかロングテール、あとGoogleが何故革新的なのか....といって、今時のネットのトレンドにについて、とても分かりやすく交通整理してくれた趣もあった本で、その点について筆を費やした-特に前半-部分は楽しく読めただけれど、読み続けるにつれ、あまりに楽観的なネット礼賛調が続くのでいささか辟易した覚えがある。この手のイノベーションというか、そのきっかけみたいなものが出てくると、必ずそのあれこれを太鼓を叩いたり、笛を吹いたりするヤツが出てくるだけれど、必ずしもその人達の云うとおりにはならないことは、Gui、ML、web、Java、P2P、などなど、もうこれまでに私たちはけっこうな学習してきたからだ。

 さて、この本であるがおもしろいのは、この本の前半では明らかに「ウェブ進化論」のアンチテーゼ的な趣旨で話しが進んでいく。いわく「Web2.0は本当のビジネスモデルになっていない」、「新しいネットサービスは本当に使いやすいのか」「ネットは無料サービスでなくてはいけないのか」などなどである。この本はそのあたりをまず述べて、問題点となるのは要するに「面倒くささ」であると結論ずける。新しいインターフェイスを覚えるのが面倒くさい、金の決済がいちいち面倒くさいというのが障壁となっている訳である。
そこで、登場するのがiPhoneである。なにしろ、このキカイのインターフェイスは革新的であり、雑多なインターフェイスを一元的に管理しうる多様性があって、しかも金の決済は電話料金の徴収という形でクリアできるから凄いということになるらしい。どうも私自身がへそ曲がりなせいか、「そんなに凄くても、今の日本の現状じゃ、人間がもう今のケータイのインターフェイスに慣れてしまっているのでは?」とか、ついつい思いながら読んでしまうのだが、いずれにせよ後半は「iPhone万歳」的なスタンスとなる。

 さて、私は元々マカーなので、Appleの商品は大好きだ。このiPhoneというキカイは未だ実物をお目にかかったことはないのだが、iPodTouchなどから見るかぎり、とにかく物欲をそそるデザインだし、インターフェイスももう近未来的といいたいようなスマートさがあった。この流儀でいけばおそらくiPhoneというキカイは、この本で述べられていることがかなり期待できそうな、そんなワクワク感は涌いてくる。ぜひとも日本にも発売してもらいたいものだが、なにしろ未だに護送船方式の団日本では、このキカイの発売会社すら決まっていないんだな。
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PAUL McCARTNEY / Back In The U.S. concert film

2008年01月09日 23時26分24秒 | Beatles
 しばらく前にレビューした「Back In The U.S.」の映像版である。年末レンタルしてきて観たものだが、音だけのCDだとポールの声の衰えだとか、バンドの演奏が雑だとか、けっこう荒っぽいところばかり感じてしまったのだけれど、さすがに映像がついていると全く違った印象を受ける。とにかくポールが元気だし(もっと座ってキーボート弾いて歌っているかとも思ったのだけど、意外と立ちぱなしなんだよね)、バンドも実に豪快なノリまくっているという感じで観ていて、とにかく楽しい。当たり前だけど、CDには入っていないMCなども聴けるのもいい。ジョージの「サムシング」を歌うところなど、あのMCが入っているからこそ、ウクレレで歌うのが納得できようものだし、「ゲッティング・ベター」をやる前のMCもなかなかだ。

 ただ、ちと気にくわないのは、やたらとオフステージが挿入されることで、ステージ始まるまでの移動だの、リハなどはいいとしても、いざステージが始まってからも、それが随所に挿入され、あげくに当時奥さんだったへザーとラブラブだったシーンがこれでもかって割って入るのはちと興ざめにならないでもなかったかな。ただ、まぁ、生粋のビートルズ・ファンの私としては、「オールマイ・ラヴィング」歌いながら、過去のビートルズのフィルムが流れて、ファンが涙ぐんでいるところなどは、こっち「うんうん」ってな感じで共感を覚えてしまう。私はひねくれ者だから、コンサートの感動でもそんなに盛り上がったりしないのだが、ポールだけはなんとなく素直になれちゃうんだな(笑)。「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の歌い始めで、ポールが感極まって、涙声になるあたりなど、ぐっと来てしまう。

 ちなみに、CDとはジャケットもほぼ同一だし、演奏内容も同じかと思っていたのだが、選曲、構成はもちろん違うし、テイクもかなり違う(編集されてきちん完走しない曲もいくつかある)。前述の「ロング・アンド・ワインディング・ロード」などまさに映像だけのスペシャル・ヴァージョンだろうが、個人的には「ヘイ・ジュード」はCDの演奏の方がポールもバンドも観客もいいノリだったように思うし、ヴォーカルとドラムだけで後半のコーラス盛り上げるところなんか、ドラムンベース風のイタコがばっちり決まっていてカッコ良かったんだけどなぁ。
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佐藤勝/美女と液体人間

2008年01月08日 22時12分47秒 | サウンドトラック
 この年末年始はいろいろなDVDを観たが、けっこう立て続けに観てしまったのが、東宝特撮映画でも異彩を放つ変身人間シリーズである。子供向けのゴジラ・シリースなどと違って怪獣は登場せず、なかなか正体を現さない変身人間、怪奇なムード、どろどろとした人間関係から起こるドラマ等々、完全に大人向けの特撮映画なのだが、東宝はこれを昭和30年代中盤くらい数本、つまり「美女と液体人間」「電送人間」「ガス人間第一号」「マタンゴ」を作っていて(これに昭和29年の「透明人間」を付け加えてもいいのだが、あれはまるで戦前映画の雰囲からして、ちと違うと思う)それを立て続けに観たという訳だ。

 中でも私が好きな作品は、この「美女と液体人間」である。液体人間がゼリー状のようなほとんど意志を持たない攻撃的な生物として出てくるという「怖さ」もいいし、主役のジャズ歌手を演じた白川由美の、まるでパラマウントの女優さんのようなクールな美しさも惚れ惚れとさせる。また、随所に現れる昭和30年代の築地だの、お台場などが風景が出てくるのも観ていてとても楽しいところで(私がレンタルしたDVDは、マスターからリマスタリングした新ヴァージョンらしく、VHS時代とは比較にならないくらい画面が非常に綺麗だったのも幸いだった)、とにかく私はこのシリーズでは、ダントツでこれが好きなのだが、この作品でもうひとつ忘れられないのは音楽の魅力である。

 このシリーズの音楽は、ゴジラ・シリーズでの伊副部先生のようにほぼ固定で誰かが担当するのではなく、結果的にそうだっただけかもしれないが、作品毎に作曲家を替えていったのもひとつ特徴なのだが、この作品は佐藤勝が担当している。佐藤勝といえばゴジラもやれば黒沢作品もやる、フルオーケストラを囂々鳴らしたかと思えば、奇妙な音響で画面にユニークなアクセントをつける、小さなアンサンブルで小粋な音楽を画面につけたりと、ある意味で万能というか、早い話が「日本のエンニオ・モルリコーネ」的人だと思うのだが、この作品ではこうした彼の魅力が良く出ていると思うのである。

 例えばメインタイトルはオーケストラがパワフルに鳴る豪快なマーチ風、液体人間が現れる怪奇ムード一杯のシーンではミュージック・ソウの奇妙に怖い色+バルトークみたいなオーケストラ・サウンドを使って雰囲気を盛り上げ、舞台となるナイト・クラブではそれこそコンポ・スタイルでノリノリにスウィンギーな曲をやったかと思えば、エラ・フィッツジェラルドばりのヴォーカル曲(若き日のマーサ三宅が歌っているらしい)を聴かせるという具合に、実にヴァーサタイルな音楽を展開していて、これがどの曲も実に佐藤勝らしい斜に構えたようなドライな個性が良く出ていているのだ。

 特に傑作なのはラスト近くに流れる「液体人間の最期」で、気怠くなにやら退廃的なムードすら漂うサックスをモチーフを中心にうごめくように進んでいく様は、なんともいえない魅力があって、個人的には数ある東宝特撮映画の音楽で、もっとも印象的なもののひとつなっているのだ。ついでながら、13曲目のパップ調の曲だけど、たぶん昭和30年代の日本のジャズ・ミュージシャン使ったのだろうけど、けっこう豪快にスウィングしている様もさることにがら、この時期の日本のキャバレーってこんなの生で流れていたか?とちょっと意外な気もした。
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蘇慧倫 vol.1 Lemon Tree 鴨子

2008年01月07日 00時11分26秒 | 台湾のあれこれ
 台湾ポップスの映像ディスクというと、私はもっぱら蘇慧倫ばかりを買い集めているのだが、そのほとんどはCDVである。だが、既に何度も書いているとおり、並のDVDでさえ「普通」くらいにしか見えない現在、CDVはもう全滅である。これまで、何度も画質にこだわらないとか書いてきたクセに、十分にこだわってじゃねーかといわれそうだが、これは最低ラインを話である。発色がどうの、明るさがどうかといったこと以前に、とにかくノイズの目立たない、とりあえず心やすらかに画面が楽しめる....といった水準が液晶テレビの場合、やたらと高いのだ。こういうのは、過渡期に現象というべきなのかもしれないが、なんとなく倒錯したものを感じないでもない。

 さて、このDVDはもちろん蘇慧倫のビデオ・クリップ集である。しばらく前に購入した高勝美のDVDを購入した時に併せて購入したものだが、Vol.1とついているからには当然Vol.2もあって、この2巻あれば彼女のビデオ・クリップ集のおいしいところは、あらかた楽しめますよ....という趣向なのだろう(収録曲は2巻で約40曲)。もちろんこのディスクに入っていない曲も沢山あるのだけれど、近年カムバックしたとはいえ、歌手として勢いは到底一時に及ばないので、大ヒット曲でも出せばもちろん話は別だが、現状ではあまり網羅的な復刻は望めないのは明らかだ。なので、しばらくはこれを楽しむしかないだろう。なにしろこのディスクでさえ、本国の台湾製ではなく中国本土で作られたものなのだ。

 ともあれ、ブロックノイズ出まくり、カラオケとヴォーカル入りのトラックが左右に振られている奇妙なステレオではなく、こうしてきちんとしたクウォリテで彼女のヴィデオ・クリップを観ることができるのはありがたい。もっとも画質としてはそれこそ「普通」くらいでとりたてて喜ぶほどでもないのだが....。収録曲は第1巻に入った90年代中盤あたりの曲が絵的にはいい。前にも書いたけれど、彼女はこの時期が一番「ガチできれいないい女」していたと個人的には思っているので、アイドルっぽい作り笑顔にしても、泣き顔にしても、憂いを帯びた表情にしても、この時期はまさに光り輝いていたという感じだし、「哭過的天空」でのステージの様子など、大スターらしい華と風格のようなものまで感じさせてくれて、最高に素敵だ。
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ハイドン 交響曲第28番「蛇行」/フィッシャー&AHハイドンPO

2008年01月06日 16時02分17秒 | ハイドン
 第28番は4楽章制の、まぁ中規模くらいの交響曲です。この曲は全曲を通じてリズムを工夫しているというか、リズムのおもしろさを追求しているようなところがあり、そのあたりが特徴になっていると思います。
 特に第1楽章はかなり入り組んだリズムになっていて、3拍子なのか4拍子なのか、よくわからないような仕掛けが随所にみられます。このあたりを楽しいと思うか、つまんないと思うかは聴く人の好みによるとは思いますが、がっちりと構築された土台の上で、リズムがあれこれと違った様相を見せるというのは、ある意味、この後のベートーベンあたりを予見したようなところを感じないでもありません。

 第2楽章もアダージョという割には、リズミックな部分が目立ちます。付点付きのリズムが多用されてており、低い弦と高い弦が交互に会話するように進んでいくあたりなかなかおもしろい趣向です。
 第3楽章は典型ともいえるメヌエットとトリオですが、他の曲と比べるとやはりリズムがより鋭く、ヴァイオリンの高い方をかなり強烈に出してくるあたり、当時はかなり刺激的な音響だったんじゃないでしょうか。ともあれかなりきりりとした風情があります。
 最終楽章もけっこう込み入ったリズムのようですが、とはいっても第1楽章ほど錯綜した感じでもなく、それなりに軽快なハイドン調で進んでいきます。まぁ、ハイドンとしてもオーラスは、いつもの彼らしく晴れやかに元気よい曲調にして、曲を「解決」させようと目論んだのかもしれませんね。

 という訳で、この28番のニックネームですが、全曲を通じてリズムが入り組んでことにちなんで、とりあえず「蛇行」としてみました。第2楽章の特徴から「会話」でもよかったんだけど、これはまた使う機会があるかもしれないので温存しときます。まだ28番だからなぁ(笑)。
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ニューイヤー・コンサート 2007/メータ&VPO

2008年01月05日 23時22分54秒 | クラシック(一般)
 こちらは昨年のニューイヤー・コンサートのCDである。メータがこのコンサートの指揮を担当するのは確か4回目とあって、さすがに去年は中継の方はみなかったのでが、一応CDは買っておいたらしい。なにしろこのコンサートのライブはDVD、CD共に大晦日から一ヶ月もしないうちに発売されるので、それに併せてヤンソンスやムーティなどと一緒に購入したらしい。余談だけれど、液晶テレビの購入のおかげか、今年のプレートルのものはいよいよCDではなく、DVDを買おうと思う。まぁ、両方買えばいいのかもしれないけれど、このパターンはLDの頃に何年か続けて、やめてしまったのだ。映像の方はよほど気に入れば別だけれど、たいてい一度観てしまうと、後はほとんど観ることがなく、単に手元において安心するというか、単に資料的な価値でしかないような気がして、なんとなく空しくなってしまったのだ。ただし、40インチのディスプレイで観るニューイヤー・コンサートは、いつものそれに比べ数段楽しめたので、しばらくは映像重点でいってみようかななどと考えている次第だ。

 話がそれた、そんな訳で2007年のヤツもDVD購入しておけばよかったかな....などと思っているところである。なにしろ、ズビン・メータの指揮ってあまり好きでないし、ウィンナ・ワルツについても特に印象に残った演奏があった訳でもないので、音だけじゅなぁ....などと思っていたのだけれど、実際聴いてみると結構良い。さすが4度目ということもあるのか、とくに気負ったところもなく、全体に悠々たる演奏というイメージである。おもしろかったのはヨゼフ・ヘルメスベルガーの「妖精の踊り」で、メータのちょいとエキゾチックな色彩感のようなものが、逆にファンタジックな趣を倍加していて実に楽しい演奏になっていた。また、私の好きな「うわごと」序曲「くるまば草」は、例によって、彼の指揮振り(例えばテンポの設定とか増減とか)が私の好みの逆に行ってしまうようなところがないでないのだが、ウィーンの美しい音色+大柄でシンフォニックな量感という魅力は、かなりの説得力があるし、なにしろ双方の相性がいいことも如実に伺わせて、ドライブしている様は思いのほか楽しめたというところだ。あと、選曲面でもヨゼフの「ディナミーデン」、「シトロンの花咲く所」とか、私好みの曲が鏤められていてるのも親しみが湧くところだし、音質もほとんどライブとは思えない解像度で録られている。
 そういえば、最近のニューイヤー・コンサートのCDって、「美しく青きドナウ」の前の、例のMCもきちんとはいってるんだね....。
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EG LR320 (学習リモコン)

2008年01月04日 12時14分09秒 | PC+AUDIO
 液晶テレビ、DVD.1、DVD.2、VCR、Cableチューナー、AVアンプが複雑に入り乱れる我が家のAVシステムだが、ようやく形になりかけてきたものの、困るのがリモコンである。例えば「DVD.1でなにか観ようとすると、まずはAVアンプで光ケーブルでリンクされた音の経路を選び、次に液晶テレビでHDMIのライン選択し、そこからおもむろにDVDプレイヤーの操作に入る」という手順を踏む訳だけれど、その度に沢山あるリモコンをひとつひとつ取り上げては操作するのはいかにも面倒くさい。また、今それをいろいろいじくっているところでもあり、配線がどうなっているのか、たまにわからなくなったりもしてしまうのも困ったものだ。

 そこで登場するのが学習リモコンである。学習リモコンは既にいくつも使用してきたが、さすがにAVシステムのすべてを統合させることが可能学習リモコンなど、昔はあまりなかったし、あったとしてもかなり高いものだった。まぁ、仮にそれを購入したとしても、全てのリモコンのボタンを学習させるなど、面倒臭くてやってられないという感じだったのである、ところが、10日ほど前だったか、AV環境をいろいろと考えているうちに、いずれ学習リモコンが必要になることは目に見えていたから、ネットであれこれ探しているうちに見つけたのがこのリモコンという訳である。固定ボタンなしの全面タッチパネルというのも凄いが、プリセットが全くなく、全てをプログラマブルに学習させ、画面のボタンの名前やボタンの形状、配置だのは、すべて自分で設計し、場合によってはPC上で編集することマニアック振りも凄い。まさにカスタマイズするためリモコンである。これで値段は1万円ちょい切るというのは、ちと不安にもなったが(笑)。

 まぁ、こういうマニアックなリモコンであるので、実は届いてからも、いかにも敷居が高そうで、なかなか手をつける気になれなかったのだが、元旦の夜あたりから散乱するリモコンに業を煮やして、学習させはじめた。マニュアルが最初はよくわからなったのだが、使い始めると学習も簡単で、連続してどんどんできるし、PC上のソフトもさして難しくなかったので、数時間ほどでなんとか使い物になりそうなリモコンが出来上がった。全体として、リモコンの反応が遅い、赤外線が弱い、PCへの転送がやたらと遅い、PC上のソフトがそれなり....などなど、全体としてはかゆいところに手が届かないような欠点はあ多々あるのだが、まぁ、この値段なら文句もいえまい。ともあれ、こういうほぼ完全に自分流なリモコンで作れるのはうれしい。
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ダイ・ハード4.0

2008年01月03日 15時42分50秒 | MOVIE
 確か29日に液晶テレビのセッティングをとりあえず終えたところで観たもの。10年以上ぶり、あまけに相手はサイバーテロ集団ということで興味ある内容だったのだが、マクレーン刑事は案の定、かつての敏捷な小男かせがっしりとした屈強なイメージに変貌、この手の犯罪集団と対決するのはもう慣れきっている....みたいなところがあるのは、さすが4作目という時代の流れを感じさせる。ただ、マクレーン刑事はパソコンとかネットには弱いので、助っ人?としてハッカー青年がひとりくっついてくるのだが、このふたりが珍道中しつつ、徐々にサイバー・テロ軍団の核心に向かっていくというストーリーだ。お目当てのアクション・シーンは盛りだくさんであり、ハッカー青年の救出シーン、FBIまでのカーチェイス、発電所、再びハイウェイでの軍用機まで絡むカーチェイス、そしてちょっと驚くラストまで、ものすごいアクション・シーンのつるべ打ちである。ちょうど昔の007シリーズのようにアクション・シーンつなげるためにストーリーを作りましたみたいに感じないでもないほどだ。

 その分、ストーリー的にはけっこう平板というか、単にサイバー・テロ集団がアメリカのネットに侵入して、重要インフラを停止させたので、そいつらおっかけてあちこちへ行くだけみたいなところもある。このシリーズは物語にいつもサープライズを用意してあったものだけれども、今回は特にそれもないし、意外に単調なような気がする。あっ、あとけなしついでに書いておく、映画に描かれているサイバー・テロにあんまり説得力ないのもつらかった。アメリカーのネットワークがどうなっているのかよくわからないけれど、あんな風にいとも簡単にライフラインや重要インフラを停止させたり、コントロールできるんだったら苦労しないぜ....とか、どうして考えてしまって。ストーリーがちと絵空事に感じてしまいがちだったのがつらいところでもあった。まぁ、一般の人は「ハッカーだったらコンピータでなんでもできる」と考えがちだから、そのあたりを考えれば妥当な線なのかもしれないけれど....。
 あと、女性サイバーテロリストをやったマギー・Qは東洋系+カッコイイ系の美人さんでなかなかだった(登場するのが前半だけというのが惜しいくらい)。ひょっとするとこの映画で一番良かったのは彼女かもしれない。
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ニューイヤー・コンサート 2008/プレートル&VPO

2008年01月03日 00時36分02秒 | クラシック(一般)
 生放送の方は観ることができなかったので、さきほどBSで再放送されたものを第2部から観てみた。先日も書いたとおり、本年のニューイヤー・コンサートの指揮は、フランス人のジョルジュ・プレートル、もちろん初登場でニューイヤー・コンサート最高齢の指揮者ということらしい。87年にこのコンサートで指揮したカラヤンは当時79歳でかなりヨボヨボだったが、83歳のプレートルは元気いっぱい....というほどはないにしも置いてなおかくしゃくといった感じで、危なげなところは全くない指揮ぶりだった。彼の指揮するウィンナ・ワルツは、当方の「フランスの指揮者」と先入観も大きいかもしれないけれど、とにかくウィーン風なワルツの訛りがあまりない、角のとれて滑らか、洗練されたエレガントさの際だつ演奏といったイメージだったと思う。

 また選曲面でもいろいろな国にちなんだ曲が選曲されて華やかそのもの。後半でみせてお遊びというか趣向、ワールドカップがウィーンでやることにあやかってサッカーボールやイエローカードが登場したり、「美しく青きドナウ」では観客席にウィーン・バレーの二人が登場したりと、これまでにないハプニングはなかなか楽しめた。これで指揮者のルックスにもうすこし華やいだ雰囲気あったらもっとよかったのに....などいったらプレートルとウィーン・フィルに怒られるか(笑)。
 ちなみにBSでみるウィーン楽友協会の大ホール、通称「黄金のホール」はさすがにキレイだ。例年ふんだんに飾られる花、花、花の彩りも鮮明にみてとれる。いやぁ、これだけでも液晶テレビを購入した甲斐があったというものである。ちなみに、このあとDVDでカラヤンの87年のニューイヤー・コンサートを観てみたが、記憶ではかなり鮮明な画像というイメージがあったものの、今までみてた映像の鮮度に敵うはずもなく、20年以上という時の隔たりを感じたのであった。
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