なにしろこの年末年始はAV関係にかかりっきりで、ほとんど音楽を聴いていないもので、普通の年ならそこら中に散乱しているシュトラウス関連のCDがほとんどラックから出ていない。とはいえ、せっかくの正月だから、ちょっとした空いた時間にシュトラウスを聴きたくなる事実で、とりあえず、手近なところに置いてあるSACDを聴いているところだ。ライナーもしかり、このセルとクリーブランドによるアルバムもそういった1枚である。選曲は ワルツ「美しく青きドナウ」、ピチカート・ポルカ、「うわごと」、「春の声」、「オーストリアの村つばめ」、 常動曲、「こうもり」序曲の7曲で、スタンダードな選曲といえばその通りだが、ある意味、カラヤンと共通するセンスというか、戦前~戦後を通じて活躍した世代の特有の選曲基準を感じさせなくもない。例えば「皇帝円舞曲」や「ウィーンの森」は入れずに、「うわごと」が入っているあたりがそうだ。
演奏の方は、セルとクリーブランドらしく、例によってさっぱりとしたクリーンなものである。先日のライナーのところで「セルが振ったワルツ集は、あまりに締め上げすぎて息苦しいところがないでもなかったが」とやや否定的に書いたが、何度か聴いていると、ぱっと聴いた時のイメージほど、杓子定規でも乾いた演奏でもないことが分かり、こういうシュトラウスもけっこう悪くないなと思う。セルの演奏というのは、一聴するとやたらテンポが早くせかせかしているように聴こえ、しばらく聴き込むと意外とそうでもなく、単にこねくり回さない歌い回しとか、楽器のリリース音が短かく聴こえる録音といった点がそう感じせることが分かってきたりするものだが、この演奏もそういう感じである。カラヤンの18番である「うわごと」もドラマチックさではカラヤンにはかなわないが、幻想的な序奏部から主部のワルツにさらりと移行する手際の良さとか、ワルツ部分の楚々とした美しさなど、カラヤンとは違った質素な美しさを味あわせてくれる。また、これもカラヤンの18番中の18番だが「こうもり」もいい。この曲はまさに緩急自在なダイナミクスが楽しい曲なのだけれど、艶っぽさのようなところはないにしても、このコンビの室内楽的なストイックさを十分に楽しませてくれる好演奏である。
ちなみにこのSACDだが、SACDの割に録音はいまひとつだ。ほとんどSACDを聴いてる感じしないほどにナローで乾いた音質なのは、マスターテープに収録された情報量の限界、あるいは劣化かもしれないが、なんか放送録音みたいな感じなのである。どっかで聞いた話だが、当時、セルとクリーブランドの録音にはあまりCBSは金をかけていなかったようで、彼らのつくるレコードは当時からオーディオ的な評価はあまり高くなかったらしい。セルとクリーブランドの演奏がこんなにも末長い価値が生まれるとは、当時は考えていなかったのだろう。残念な話である。
演奏の方は、セルとクリーブランドらしく、例によってさっぱりとしたクリーンなものである。先日のライナーのところで「セルが振ったワルツ集は、あまりに締め上げすぎて息苦しいところがないでもなかったが」とやや否定的に書いたが、何度か聴いていると、ぱっと聴いた時のイメージほど、杓子定規でも乾いた演奏でもないことが分かり、こういうシュトラウスもけっこう悪くないなと思う。セルの演奏というのは、一聴するとやたらテンポが早くせかせかしているように聴こえ、しばらく聴き込むと意外とそうでもなく、単にこねくり回さない歌い回しとか、楽器のリリース音が短かく聴こえる録音といった点がそう感じせることが分かってきたりするものだが、この演奏もそういう感じである。カラヤンの18番である「うわごと」もドラマチックさではカラヤンにはかなわないが、幻想的な序奏部から主部のワルツにさらりと移行する手際の良さとか、ワルツ部分の楚々とした美しさなど、カラヤンとは違った質素な美しさを味あわせてくれる。また、これもカラヤンの18番中の18番だが「こうもり」もいい。この曲はまさに緩急自在なダイナミクスが楽しい曲なのだけれど、艶っぽさのようなところはないにしても、このコンビの室内楽的なストイックさを十分に楽しませてくれる好演奏である。
ちなみにこのSACDだが、SACDの割に録音はいまひとつだ。ほとんどSACDを聴いてる感じしないほどにナローで乾いた音質なのは、マスターテープに収録された情報量の限界、あるいは劣化かもしれないが、なんか放送録音みたいな感じなのである。どっかで聞いた話だが、当時、セルとクリーブランドの録音にはあまりCBSは金をかけていなかったようで、彼らのつくるレコードは当時からオーディオ的な評価はあまり高くなかったらしい。セルとクリーブランドの演奏がこんなにも末長い価値が生まれるとは、当時は考えていなかったのだろう。残念な話である。