ニュー・ロックにはいろいろなイノベーションがあったけれど、これもそのひとつの方向性を決めたマイルストーンとでもいうべき作品だ。その方向性とはひとこでいえばセッション・スタイルでやる即興....つまりインプロビゼーション主体のアルバムをロックでも作り、それが成功したということだったと思う。このアルバムの発起人は当時、BSTを脱退したばかりのアル・クーパー、その彼に呼ばれたのは若きブルース・ギタリストの巨匠マイク・ブルームフィールドだった。そして、その彼がセッションの後半にリタイアしたので、その代打としてスティーブン・スティルが入った....などという制作プロセスは、今では立派な「ロック神話」のひとつだろう(というかこの話は私がロックを聴き始めた70年代前半から有名だった)。
私は子供の頃から自宅に「フィルモアの奇跡」があるという幸福なんだか、不幸なんだかよく分からない環境に育ったので、そちらの方はけっこう聴いた記憶があるのだが、アル・クーパーをフィチャーしたポップな作品はともかく、長い長いブルース・ギターのフィーチャーした作品はまるで垂れ流しのように感じでとても退屈したし、これの何が革新的だったのもさっぱりわからなかった。72年頃といえ既にロックで長いインプロは当たり前になっていたし、なにしろブルース・ギターというのは中学生が聴くには早すぎたのだろう。だから、BSTについては中学生のクセして、かなり入れ込んで聴いていた私ではあるが、「フィルモアの奇跡」に先んじて制作されたスタジオがこれだと知ったときも、あまり関心がわかなくて、実際に聴いたのはずっと下ってCD時代になってからだった。
初めてこのアルバムを聴いた時、「なんだ、凄ぇいいじゃん、ブルームフィールドのギター最高」ってなもので、とにかくブルームフィールドのギターに圧倒された、また、BSTやソロであまり聴かせてくれないアル・クーパーのオルガンも素晴らしく、なんでもこんなに良いアルバムを今まで聴かなかったのか悔しい思いをしたものだ。まぁ、さすがに自分も20代後半ともなれば、このアルバムの意義だの、革新性だのといった余計なファクターをあまり惑わされずこのアルバムの音楽を素直に楽しめるようになっていたのかもしれないが、ともあれ、このアルバムで展開されるリラクゼーションと緊張感の狭間を行き交う絶妙なバランス、即興性に身を委ねたのびやかな感覚など、とにかく音楽単体か素晴らしく芳醇な味わいを感じたのだった。個人的な印象だが、その良さは「フィルモアの奇跡」より数段上だと思ったほどだ。
さて、このアルバムだが、数年前に出たリマスター盤である。売りとしては、後日オーバータブされたブラスセクションがカットされた「アルバートのシャッフル」「魔女の季節」、あと未発表曲が2曲が入っていることだろう。私はそもそもアル・クーパーをブラス・ロック・バンドのリーダーとして知ったクチだから、この2曲について「ブラスはジャマ」などとは全く思わず、むしろ「らしい」と思う方だから、ブラス抜きのヴァージョンがそれほどうれしい訳でもないが、確かにブラス抜きの方は音楽のメリハリ、完成度が後退してしまうかわり、素のセッション的な生々しさ、メンバー間の行き交う音楽的感興の妙のようなものがダイレクトに伝わる気もする。特にスティルスをフィーチャーした「魔女の季節」はカッティングやリフ主体のギターというスティルスのキャラのせいか、ブラスがないといささかスカスカな音になってしまっているが、これが逆にほどよい緊張感を感じさせるあたりはヴィンテージ化した音楽の妙といったところかもしれない。また、「アルバートのシャッフル」はまさにブルース・セッション的なライブ感があって、無条件の楽しめた。
私は子供の頃から自宅に「フィルモアの奇跡」があるという幸福なんだか、不幸なんだかよく分からない環境に育ったので、そちらの方はけっこう聴いた記憶があるのだが、アル・クーパーをフィチャーしたポップな作品はともかく、長い長いブルース・ギターのフィーチャーした作品はまるで垂れ流しのように感じでとても退屈したし、これの何が革新的だったのもさっぱりわからなかった。72年頃といえ既にロックで長いインプロは当たり前になっていたし、なにしろブルース・ギターというのは中学生が聴くには早すぎたのだろう。だから、BSTについては中学生のクセして、かなり入れ込んで聴いていた私ではあるが、「フィルモアの奇跡」に先んじて制作されたスタジオがこれだと知ったときも、あまり関心がわかなくて、実際に聴いたのはずっと下ってCD時代になってからだった。
初めてこのアルバムを聴いた時、「なんだ、凄ぇいいじゃん、ブルームフィールドのギター最高」ってなもので、とにかくブルームフィールドのギターに圧倒された、また、BSTやソロであまり聴かせてくれないアル・クーパーのオルガンも素晴らしく、なんでもこんなに良いアルバムを今まで聴かなかったのか悔しい思いをしたものだ。まぁ、さすがに自分も20代後半ともなれば、このアルバムの意義だの、革新性だのといった余計なファクターをあまり惑わされずこのアルバムの音楽を素直に楽しめるようになっていたのかもしれないが、ともあれ、このアルバムで展開されるリラクゼーションと緊張感の狭間を行き交う絶妙なバランス、即興性に身を委ねたのびやかな感覚など、とにかく音楽単体か素晴らしく芳醇な味わいを感じたのだった。個人的な印象だが、その良さは「フィルモアの奇跡」より数段上だと思ったほどだ。
さて、このアルバムだが、数年前に出たリマスター盤である。売りとしては、後日オーバータブされたブラスセクションがカットされた「アルバートのシャッフル」「魔女の季節」、あと未発表曲が2曲が入っていることだろう。私はそもそもアル・クーパーをブラス・ロック・バンドのリーダーとして知ったクチだから、この2曲について「ブラスはジャマ」などとは全く思わず、むしろ「らしい」と思う方だから、ブラス抜きのヴァージョンがそれほどうれしい訳でもないが、確かにブラス抜きの方は音楽のメリハリ、完成度が後退してしまうかわり、素のセッション的な生々しさ、メンバー間の行き交う音楽的感興の妙のようなものがダイレクトに伝わる気もする。特にスティルスをフィーチャーした「魔女の季節」はカッティングやリフ主体のギターというスティルスのキャラのせいか、ブラスがないといささかスカスカな音になってしまっているが、これが逆にほどよい緊張感を感じさせるあたりはヴィンテージ化した音楽の妙といったところかもしれない。また、「アルバートのシャッフル」はまさにブルース・セッション的なライブ感があって、無条件の楽しめた。
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