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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

たった6日前、関東は時ならぬ積雪だったのに

2005年03月10日 19時20分11秒 | others
 ちょっとした家庭の事情で、今日は仕事を休んでしまい。その家庭の事情が片づいた午後3時くらいから、近くのショップで購入してきたCDをあれこれ聴いていたら、なんか部屋が異様に暑いことに気がついた。「そっか、もう3月も中旬だもんなぁ、暖かい訳だ」と苦笑しながら、暖房を切ったのだけど(でもさ、たった6日前関東は時ならぬ積雪ですよ-笑)、さりとて暖房消して、そのままでいられるほどに暖かい訳ではなく、あれこれ思案した挙げ句、押入から電気ストーブを持ち出してきて、こいつを付けたところ、調度頃合いの暖かさになった。

 春先というか、早春の時期って、こういう中途半端な暖かさが続く。個人的にはこういう「半端に熱い」室温ってのは、妙に気持ち悪いものがあるんだけど、思えば私は毎年、この時期になると、電気ストーブを持ち出してきては、こうした「室温の微調整」をアレコレやっている気がする。ごくろうなことです(笑)。
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Dave Grusin / The Cure(マイ・フレンド・フォーエバー)

2005年03月10日 17時28分54秒 | サウンドトラック
 これも380円という値段につられて購入したものです。

 デイブ・グルーシンは最近オーソドックスなジャズへ先祖返りしているようなところもありますが、映画音楽の方も年1本くらいの悠々たるペース平行して活動しているようで、この作品は1995年の同名映画を担当した時のものです。

 グルーシンの映画音楽といってもタイプはいろいろありますが、この作品は「天国から来たチャンピオン」「黄昏」とかああいった、心優しくて、ちょっと哀感のあって、雄大で....みたいな、「アメリカの誠実」路線ですね(伝わってるかいな-笑)。特にメイン・テーマとそのヴァリエーションが何回も現れる後半の楽曲は、オケとピアノ(もしくは木管)で演奏され、もう聴いているだけでも、いかにもグルーシンらしい心洗われるような感動があり、「映画の方もこのあたりで涙ぼろぼろだろうな....」と思わせるに十分な仕上がりです。
 また、おそらく映画では、ストーリーの「陽」の部分で使われているんでしょう。スティール・ギターやハーモニカをフィーチャーしたアメリカン・ルーツ・ミュージック的楽曲もいくつか納められていて、こちらはジャズ・フュージョンの名手達が演奏した極めて洗練された音楽で、前記音楽とは別の意味で聴き物となっています。

 さて、映画の方ですが、日本では「マイ・フレンド・フォーエバー」というタイトルで1995年頃、封切られた映画のようです。私は映画そのものは観ていませんが、「HIV感染者の少年と、彼を助けるべく治療法探しに奔走する少年の友情を描いたヒューマン・ドラマ」とのことで、ネットで観た方の感想など読んでみると、とにかく泣ける映画のようですし、クウォリティ的にも非常に良質なアメリカ映画の小品といった趣を感じるので、近いうちに是非DVDかなにかで観てみたいと思います。
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PAUL McCARTNEY / The Liverpool Sound Collage

2005年03月10日 16時20分24秒 | Beatles
 音の断片を切り貼りしたコラージュ風な音楽らしいということで敬遠していた作品ですが、380円という超破格値なのにつられて、近くのショップで購入してきました。ポールはユースと組んでFiremanというプロジェクトもやってますが、こちらは、それとは別なプロジェクトらしく、ビートルズのマスターピース「サージャント・ペパーズ」のジャケ・デザインを担当した、ピーター・ブレイクの展覧会でのサウンドトラックとして作られたものらしいです。

 内容はまさにサウンド・コラージュとしかいいようがないものですが、大昔のそれ、例えば「レボリューション9」やあまたの現代音楽みたいな代物とは違って、随所にハウスやテクノっぽいルーピングされたリズムが流れますから、いわゆる「ゲンダイオンガク、ガマンガマン」的な難解さはありません。サウンド・コラージュとかテープ・ミュージックとかいうと、とかく「みんな同じ」みたいに云う人もいますが、どういう音をチョイスし、それをどう構成するかという点で、やはりアーティストの感性みたいなものは確実に反映してくるハズですから、ここで聴ける大らかさとか屈託のなさといった感触は、多分のポールのセンスなんだろうと思います。また、こういう類の音楽にありがちな閉塞感やオタッキーっぽい執拗さがあまり感じられないのも、ポール故なんでしょうね。

 ただまぁ、展覧会でのBGMという前提があるにせよ、個人的にはもう少しトンがったものを聴きたかったかな。ついでにもう少しリズム面を強化した、単体のアルバムとして「押しの強い」作品に仕上げても良かったのではないか....などとも思いました。

PS: あと、途中ポールを含むビートルズのメンバーの声があれこれ出てくるのは楽しいです。何いってるのか分かれば、その楽しさも倍加しそうですが....。
コメント (1)
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ベームのブル3

2005年03月10日 00時00分00秒 | クラシック(一般)
 私はブルックナーの3番をカール・べーム指揮のウィーン・フィルのアナログ盤で慣れ親しみました。

 その後、ヨッフムの新旧盤、セル、インバルの原典版、バレンボイムの旧盤、カラヤン、アバド、スロヴァーク等々けっこうな数の演奏を聴いてきたおかげで、なんとなくべームの演奏は忘れてしまっていたのですが、2~3年前にCDで買い直したのを機に、15年ぶりくらいにべーム&VPOの演奏を聴いたところ、あまりに体にぴったりとくるというか、違和感がないのに驚きました。

 前述のいろいろなブルックナー演奏は、当初は「こうくるか」的に新鮮だったり、「ひょっとしてこれが正解?」的に意外だったりして、どれもそれなりに楽しく聴いたものでしたが、今にして思えば「あちらをたてれば、こちらがたたず」的なもどかしさのようなものも感じていたのもまた事実。つまり、なんのことはない、べーム&VPOの演奏がブル3の規範になっていたという訳です。いい方を変えれば、これを超える演奏に出会わなかったということかもしれません。

 それにしても、ここで聴ける演奏はベームの「石橋を叩いても....」式な平衡感と、純ドイツ流の重量感が、ウィーン・フィルの特有の暖色系の美音にマッチしていて素晴らしいの一語です。ことに第2楽章の平穏で静謐な雰囲気などは、ウィーン~ドイツ音楽特有の黄昏感とも表現できる音楽ですが、これがここまで絶妙に表現されているのは、ことこの楽章に関しては唯一無比じゃないでしょうか。聴いていてなんとも幸福な気分になれるんですよね。

 ついでに書けば、当時話題になったデッカの録音は、今となって多少古くさい感じがしないでもない、マルチマイク的なセッティングで録音されたらしい、オンでソリッドな感触のものではあるんですけど、今の時代に聴いても十分素晴らしいクウォリティで、往年のデッカサウンドの良さを改めて満喫させます。
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