(童話)万華響の日々

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コロナ禍が明らかにしたもの 2 我が国の医療体制はパンデミックへの備えが不十分であった

2021-01-31 17:25:07 | 新型コロナウイルス感染

コロナ禍が明らかにしたもの、この社会に矛盾は極めて多いと思う。医療体制の在り方は絶対に挙げないといけない。今回のパンデミックで平穏時の通常医療と緊急事態時の医療の違いが浮き彫りにされた。日本は医療先進国といわれてきた。世界に冠たる国民皆保険制度はどんなに評価しても評価しきれない。この保険制度のお陰でちょっとした怪我や病気は言うまでもなく、重病といわれ死亡に繋がる癌、心臓疾患、脳梗塞など脳疾患や糖尿病、肥満、ロコモティヴ・シンドロームなどの成人病の高度の治療が比較的負担の少ない料金で受けられる。実にありがたいことである。ところが、コロナ禍の感染症は違っている。非常に危険で感染力が高く死亡に至りやすく、治療薬も未熟でありワクチンが完成しないと防疫もままならない。我が国は通常医療には強かったが爆発的感染症には脆かった。インフルエンザすら通常の医療の範囲に組み込まれるものであった。その弱点が露呈した。統計によれば国内の病院数は多いが医師や看護師は足りない。いつも補充募集をしている。パンデミックなどが発生した場合にたちまち行き詰まってしまう。医療体制を非常時用に短期間に組み替えることができていなかった。台湾や韓国などではサーズが流行したときの経験から感染症への対応ができていて、例えばPCR検査などは即座に大量に対応できたようである。我が国ではサーズの大流行が水際で食い止められた、それは幸いであったがそのために感染症への備えに関する提言がなされたにもかかわらず黙殺されたそうである。それが今回のコロナ禍では弱点を一気に突かれた格好になった。多量のPCR検査がなかなか要求に追い付いていないでいた。
 たとえ100年に1回の感染症の流行であれ、必ず起こるのである。その備えはしておかないといけない。世界は狭くなり輸送の便が余りにも良くなったため、地方の風土病であった感染症があっという間に世界中に拡散する時代だ。感染症の脅威はエボラ出血熱の流行が起きそうになった時にも感じた。いつ起こるか分からないパンデミックも身近なものとなっている。従って特に未知のウイルスによる感染症に対する対策、それが政治の役割である。10年前の東日本大震災時にも福島原発に数10m以上の大津波が来るという予測が会社内でなされていた、にもかかわらず無視されてあのような悲惨な結果に終わった。今までは国家百年の計といわれてきた。しかし災害は忘れないうちにやってくる時代となった。国土強靭化計画が予算に入ったが、十分に機能されてもらいたい。

兎に角、医療に関してコロナ禍は日本の医療体制が片手落ちであり感染症への備えが不十分であったことをはっきり分からせてくれた。感染爆発が起こった時に医療崩壊が起こるのは起こるべくして起こったと言わざるを得ない。

 感染症が起こった場合に随時臨機応変に医療態勢が編成替えされるような仕組みが必要である。