今夜は昨夜の法皇さまのお話から転じて、リアルな教会の話です
今日、何人もの元気な高齢者たちと雑談会のようなものをしました、GGIが一番若いという集まりでした
昨日はクリスマスイブでしたので、みなさん教会なんかに行かれたのですかとGGIはたずねました
にわかクリスチャンも含めて三人が行ったと答えました、GGIはマザーが生前行っていた教会の方に来るようにと言われていましたが、敬虔なる信仰とは縁無き衆生でありますので遠慮させていただきました
GGIが「それで、やはりキャンドルサービスなんかするのですか」と聞きましたら三人がそれぞれ答えました
一人の信徒であるオジサン曰く
「キャンドルサービスと言っても、ロウソクではなく、ペンライトというのでしょうか、電池式のものでしたよ、スイッチなんかが付いていて・・・」
GGIのマザーが行っていた教会に行った適当信徒であるところのオバサン曰く
「そうなの、私の行った教会も同じ、ろうそくではなく電気式です、若い人がコンサートなんかで振り回すペンライトと同じこと、興ざめでした・・・」
もう一人のにわかクリスチャンのオバサン曰く
「私が行ったのはあのヴォ―リスさんが造ったといわれる教会です、だからそんなことなありません、ちゃんとろうそくでしたよ,とてもいい雰囲気でした」
まったくワッハッハであります、今どきの教会、教会といえども神と共にだけではなく、時代の移ろいと共にということでありませうか、ペンライトではなんとも様にならないではないかと、GGIは先日の日記に書きました《死刑執行の停止を求める諸宗教による祈りの集い》のことを思いだしました、この集いでは、セレモニーの最後に行われる献灯のために、会場の後ろに平たいグラスに入れられたロウソクが用意され、あらかじめ火が灯されていました。
今夜の写真は、この集まりで用意されていた献灯のためのロウソクです、よろしければクリックしてご覧くださいませ
ロウソクといえばフランスのガストン・バシュラールという哲学者が「蝋燭の炎」という著作でこのようなことを記しています
「電灯は、油で光をつくりだしていたあの生きたランプの夢想をわれわれにあたえることはけっしてないだろう。われわれは、管理を受けている光の時代に入ったのだ。」
そして時代は移り、電燈が駆逐され、蛍光灯も駆逐されつつあり、青白きLEDの時代となりました
法王さま、GGIは法王さまの昨日のお話を新聞で読ませていただき、おっしゃっておられることが深く心に刻まれました、法王さま、私は信仰無き人間ですが、ひとつお願いがございます、最近、クリスマスが近づきますと街角にやけにバッコするようになった、クリスマスに便乗した商魂たくましい青色LEDをはじめとした見苦しいイルミネーションを駆逐していだけないでせうか、あまりにもバッコいたしておりますので最近は《クリスマス=イルミネーション⇒クリスマスケーキよりアルコール⇒忘年会》ということになってしまっております、おいそがしいことと存じますが、私どものお願いについてご検討いただければまことに幸いです、法王さまにもよき新年が訪れますよう、お祈り申し上げます
グッドナイト・グッドラック!