今年はノーベル賞で日本のマスコミは大騒ぎでした、青色LED(発光ダイオード)で大騒ぎでした
この余波でせうか、気のせいかもしれませんが近年やけにバッコするようになった街角のイルミネーション、青色が多いようであります
このノーベル賞騒ぎに関して、先日の朝日新聞に2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏の発言が掲載されていました(デジタル版は以下のサイト)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11454167.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11454167
同氏の主張はGGI流に解釈しますと以下のようなものでありました
・もう日本人の受賞者は十数人にもなって、そう珍しいことでもなくなったのだから、いいかげんに大騒ぎするのはやめたらどうか
・日本ではノーベル賞だけ騒ぎ過ぎる、科学者にとっては最高の栄誉だが、日本には日本国際賞、京都賞、学士院賞、朝日賞など同じように立派な賞があるのに小さな記事にしかならない、落差が大きすぎる
受賞者を一夜にして持ち上げる風潮にウンザリ、同じ人間の発言が、ノーベル賞の受賞前でその重みに違いがあるはずがない、それなのに受賞したとたんら、社会全般のことを聞かれるようになったりして大いに当惑した、各分野に専門家がいるんだから、専門家に聞くべきなのに、そんなことにお構いなし
・受賞者の研究の多くはずいぶん以前、たとえば数十年前に行われたものであるから、ノーベル賞受賞者が出たからといって現在の日本における科学技術の研究体制が優れていること意味しているわけではない
・最近の、すぐに目に見える成果を求めたがる風潮は感心しない、国も大きな成果が出そうな研究のみを支援しようとしているが、大切なのは目先にとらわれることのない、しっかりとした基礎研究である
どれもGGIにはもっともだと思われました
受賞したら一夜にしてマスコミが畑違いのいろんなことに意見を求めるというアホな風潮にウンザリだというのも、日本のマスコミの程度の悪さを象徴しているみたいで、GGIにはよく理解できます、そして困るのはこの風潮に悪乗りしてアホなことをいう受賞者がいたりすることです
先日も、青色LEDで一躍勇名を馳せることになったナカムラ先生、「これからは英語ができなけりゃ話にならん、だから今後日本は英語を第一国語、日本語を第二国語にすべきだ」なとどまことにビックリ仰天、オッサンあほかいな、気は確かかと言いたくなることをのたまわっていました
白川氏は日本国内にも立派な賞があるのだから、もっとちゃんと評価すべきだと指摘されていますが、これももっともな意見です、でも日本のこれらの賞はノーベル賞にものすごい劣等感を持っているはないかと思われることがあります
たとえば日本で最高の賞とされている文化勲章です、この賞、ノーベル賞を受賞した人物には必ず授賞することになっているのであります、これでは自らの賞に自信がないのではないかと思わざるを得ません、賞の性格が異なっているのですから、ノーベル賞受賞者に授賞しなれければならない必然性なんか存在していないのですが、やはり脱亜入欧、ノーベル賞が気になってしかたがないのでありませう
ノーベル文学賞でも同じようにアホな話しがあります、1995年に授賞が行われた1994年度の朝日賞、文学分野でははじめGGIが畏敬しております堀田善衛氏への授賞が決まっていたのですが、1994年11月に大江健三郎氏がノーベル賞を受賞してしまいました、それで朝日新聞さんはあわてて朝日賞受賞者に大江氏を追加したのであります、まことにみっともないことです、朝日さんも自らの賞の価値に自信がなかったのですね、自信があれば朝日賞は朝日賞、ノーベル賞はノーベル賞、たがいにまったくの別物と割り切ればよかったのです、文学作品など芸術作品の価値というのは、自然科学や工学などの研究成果とはことなり、その価値を簡単に比較できるものではなく、どれが一番、どれが二番などと決めること自体、ほとんど意味がありません、ですから自らの感覚や価値観に従えばそれで十分なのですが、朝日さん、思わず他人の目が気になってしまったのですね、自分の選球眼に自信がなかったのですね、まことになさけなとしか言いようがありませぬ・・・
などと今夜も他人の悪口になっていまいました、不徳のいたすところであります
今夜の写真は青色LEDが活躍している湖都の港の夜景です、よろしければクリックしてご覧くださいませ
グッドナイト・グッドラック!