長いあいだ、思いだそうとおもっても思いだせない詩がありました、
なかなかいい詩だったなあ、でも作者は誰だったかなあ、内容は覚えているのだけれど詩のフレーズがさっぱり思いだせないなあ・・・
長いあいだ気になっていました、誰の詩集であの詩に出会ったのだろう・・・
ところが、先日、何気なく手にとった石垣りんという詩人のエッセイ、頁をパラパラとめくっていましたら、何の前触れもなく、とつぜん探していたあの詩にめぐり会いました、まったくの偶然でした
この本、「詩の中の風景」と題されています、しかし詩集ではありません、石垣りんさんが選び出したいろいろな詩人の作品について、さまざまな想いが綴られたものです,婦人の友社が1992年に出版したものです、なかなかの本でありましたので、誰か友人や知人にもあげた記憶はあるのですが、誰にあげたのかは覚えていません
この本の「目のウロコ」と題された章で、GGIが長いあいだ忘れていた、思いだせなかった詩が引用されていたのです、杉山平一という詩人の作品です
生
ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハタと
思いだすことがあるが
そのときはすばらしい
身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか
いつの日か思い当るときのある人は
幸福である
思いだせぬまま
僕はすごすごあの世へもどる
この詩について石垣りんさんは次のように記しています
ふと用事を忘れる。自分が書いたのではないかと思うほど、私には身に覚えのあることですが。
“身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである”から先は、詩が目のウロコを落としてくれたあと、見えてきたことです。
みなさん、忘れ物はありませんか!
今夜の写真は「詩の中の風景」の表紙を撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ
グッドナイト・グッドラック!