12月26日の朝日新聞で、ハンセン病患者が出廷する事件の裁判を隔離施設内などで開いた「特別法廷」に関して、最高裁の調査委員会のメンバーが熊本の国立療養所「菊池恵楓園」などを訪れ、入所者などから事情聴取を行ったことが報じられていました。
今夜の写真はこの新聞記事の一部を撮ったものです、クリックしてご覧になってくださいませ
この最高裁による聞き取り調査は今年の10月に、かつてハンセン病患者が出廷する事件の裁判を隔離施設などで開いた「特別法廷」が、裁判の公開を定めた憲法に違反しており、差別的な手続きであったとの指摘を受けて最高裁が開始した検証作業の一環です
GGIはハンセン病問題についてはたいしたことは知らないのですが、この記事を目にして、五、六年前のことだったでしょうか、湖都の郊外にある天台宗の宗務庁で行われた人権問題の講演会で見た映画のことを思いだしました
この「新・あつい壁」と言う題名の映画、1952年に熊本県菊池郡で起きた殺人事件「菊池事件」(藤本事件)を題材にしたものです。ハンセン病患者であるとされた藤本松夫さんという人物が「菊池恵楓園」から脱走して殺人を犯したものとして逮捕され、様々な状況から冤罪の疑いが濃厚であったものの、1957年に死刑が確定。確定後も恵楓園内の菊池医療刑務支所に収容されたまま三度にわたり再審請求を行いましたが、1962年に死刑を執行されました。犯人とされた藤本松夫さんは、九大で診てもらってハンセン病でないことがはっきりしていたのに無理やり菊池恵楓園へ収容されたと主張していました、
現在も再審弁護団による再審請求が行われています、また2013年5月には福岡県弁護士会が、同6月には鹿児島県弁護士会が、再審開始を求める会長声明を出しています、鹿児島県弁護士会の声明は次のサイトを参照:http://www.kben.jp/681/)。
この映画で印象的だったのは、ちゃんとしたアリバイがあったにもかかわらず、すっとそのアリバイを隠していたことを,ずいぶんあとになって弁護士に告白するシーンでした、弁護士が、なぜそのように確かなアリバイがあったのに今まで言わなかったのかと問いただされて、犯人であるとされた人物が答えます
「菊池恵楓園から脱走した後事件が起きました、事件が起きた晩、実は私は遠縁にあたる叔母の家の物置小屋にこっそり泊めてもらったのです、そのとき私は叔母の家に泊めてもらったことは絶対に口外しませんと約束しました、叔母の方も絶対言ってくれるなと強く求めました、私がここに泊めてもらったことが誰かに知られると、「あの家の親戚にハンセン病患者がいる」と噂をたてられ、叔母の一家が村八分になりかねないからです、ですから今まで私にアリバイがあることをどうしても明らかにする訳にはいかなかったのです」
そして、菊池恵楓園内に設けられた「特別法廷」のシーンもこの映画に出てきました、当時すでにハンセン病は完治可能な病であると国際的にも認知されていたにもかかわらず、伝染を恐れて白衣を身に着けた検察官や裁判官、弁護士が書類を直接手にせず、長い火ばさみでつかむのです
戦時中、米国でハンセン病の特効薬「プロミン」が発明され、この病気を治すことができるようなりました、また極めて伝染力も弱い病気であることが明らかになtっていたにもかかわらず、日本ではいつまでも隔離政策が続けられました、政府が「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」で敗訴し控訴を断念して隔離政策の誤りを認め正式に謝罪したのは2001年5月、小泉首相のときのことです、裁判の判決では、おそくとも1960年以降の隔離政策は誤りであったとされています
GGIのマザーは熊本出身でありますので、菊池恵楓園のことや、早くから熊本でハンセン病患者のために尽くしていた外国人の女性宣教師の話などを、ちょっぴりですがに耳しておりました、
マザーがまだ子どもだったころ、「花の日」と呼ばれる、子供たちが病人を慰問する教会の行事で、菊池恵楓園に行ったことがあったのです、そのときは、ハンセン病の患者さんたちの姿はガラス窓越しにしか目にすることがきなかったと話しておりました
また加藤清正がハンセン病であったという風説があるため、清正が祀られている本妙寺の石段の両側にはハンセン病の人々がたくさん座り込んでいた、ということもマザーは話していました
熊本では菊池恵楓園が設立される以前から女性宣教師が「回春病院」というハンセン病専門の病院をつくってハンセン病の人々の救済に力を尽くしていたとされています
マザーの父、すなわちGGIの祖父は、牧師の経験もあり英語もできましたので、この女性宣教師をはじめ熊本に滞在している宣教師さんたちの日頃の生活を何かと手助けをしていたそうであります
また、GGIのファザーの親友が社長を務めていた製薬会社がハンセン病の特効薬「プロミン」を製造していることも、GGIは耳にしておりました、ずいぶん以前、数十年前のことだと思うのですが、あるときこの社長氏に「オジサンの会社、ハンセン病の特効薬作っているそうですね」と尋ねてみましたときの答をGGIは今でもよく記憶しております
「うん、作ってるよ、たいして需要があるわけではない儲かる薬ではないけれど、必要としている人がいるのだから、やはりこのような薬も作らないとね」
この社長氏も熊本出身でありました
グッドナイト・グッドラック!