UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

軍隊は外国の兵にだけ銃口を向けるとは限らない・・・

2014-12-03 02:04:37 | 日記

いよいよ何のことかよく分からない選挙が始まってしまいましたね、夕方のニュースで各党の候補が絶叫するだけの様子が次々に放映され、はやくもGGIはうんざりしてしまいました

 まあ、街頭で演説するのは仕方がないにしても、あの何か批判的なことを言われるとすぐにムキになる幼稚なお坊ちゃま首相を始め、みなさん、話し方に工夫がたりませぬ、たとえば芸人を見習って、関西弁で楽しくやってはどうでせうか

 「おまえ、アベノミクスって知ってるか?」
「知らん、人形のモリシゲなら知ってるけど・・・」
「あへ~・・・・」

 「あのなあ、アベノミクスってなんのことや、わしら年寄にはへんな外国語使われてもわからんのや」
「なんや、そんなことも知らんのか、アベノをミックスしたもんやないか」
「アベノって何んや」
「アベノっておまえも知ってるやろ、あの日本一ののっぽビル、あべのハルカスのことやないか!」
「ああ、あのハルカスのことか、そこで何をミックスするんや」
「よう分からんけど、アベさんというお人が矢を三本ミックスするそうや、三本ミックスして日本一高いハルカスのてっぺんから日本全国に向けて飛ばすらしい」
「矢を三本もいっしょくたにしたら重すぎて飛ばんのちゃうか、それでは的を射る前に墜落するのとちゃうか」

 まあタイヘンお粗末な例で失礼いたしましたが、そんなアホなことを考えながら街を徘徊しておりましたら、某サヨク政党のポスターに遭遇しました

 今夜の写真は、この某政党のポスターを撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ、ポスターにはスローガンが大きく記されています

 「外国で 戦争する国に させない」

 意味は明快です、20世紀を「過剰なる世紀」すなわち過剰なる殺戮の世紀であったとしている西洋の歴史家がいます。20世紀の100年のあいだに戦争で死んだ人々の数は、正確には分かりかねますが、おおざっぱに言って1億人あるいはそれ以上であるとされています、あらっぽく言えば、第一次大戦で1000万~1400万、第二次大戦で4000万~6000万、第二次大戦後に2300万など、殺戮に次ぐ殺戮、まさに過剰なる世紀でありました、

 そのうえ、いまだ世界的によく知られていない大殺戮がいくつも存在しています、たとえば犠牲者が100万~150万人とされる20世紀初頭のアルメニア人大虐殺、1960年代半ばのインドネシアにおける犠牲者が150万~300万人とされている共産党員とその支持者の大虐殺、鉱物資源などが豊富なコンゴ東部における1990年代半ば2000年代半ばの10年間における犠牲者が500万人以上にも達しているとされる大虐殺などです

 このような歴史を振り返るならば、21世紀には人類は「過剰なる殺戮」に終止符を打つべきであるというのは当然のことです、ですから、このポスターのスローガンに異を唱えるつもりはGGIには毛頭ないのですが、ちょっと気になったのは「外国で」と書かれていることです、GGIとしましては「戦争する国にさせない」で十分ではないかと思うのですが・・・

 なぜ「外国で」という文言をわざわざ付け加えたのでせうか、その意図は明らかでありませぬが、心配性のGGIとしましては、とても気になるのです、わざわざ「外国で」と限定しているということは、「国内で戦争するならOKよ」という意味にもとれるからです

 と申しますのは、ちょっと歴史を紐解けば、あるいはわざわざ紐なんか解かなくても明らかなことでありますが、軍隊というものは外地に行って外国人にだけに銃口を向けることだけが仕事とは限らないのです、時にはと申しますか「しばしば」と申しますか、軍隊なるものは、内戦や反政府運動や騒乱などに際して、ためらうことなく自国の民に銃口を向けるのです、外国の民ではなく自国の民を銃撃するのです、これが歴史の真実であります、

あるいは、直接自国の軍が自国民に銃口を向けなくても、時の政権が安全保障条約という名の軍事協定を結んでいる相手の国(多くの場合は大国)の軍や軍関連組織をして自国の民に銃口を向けさせるのです、たとえば、かつて南米などにおける腐敗した政権がCIAなどを使って自国の民に銃口を向けさせていました、ベトナム戦争も同じ構造でありました、ソ連の軍隊がかつてハンガリーやチェコなどで市民に銃口を向けたのも軍事協定が結ばれていたからです、軍事同盟や協定は両刃の剣なのです、自国が何らかの危機に陥ったときなどに、肝心の同盟国がわが友好国の政府の要請によりなどと称して侵入してきて市民に銃口を向けることの原因になりかねないからです、軍事同盟や協定がこのような事態を生じさせる至る確率が決して小さくないことは歴史が証明しています

 アジア・アフリカ・中東などの発展途上国において、特に独裁国において、何らかの政治的混乱に際して、軍が自国の民に銃口を向けるのは日常茶飯事です、いわゆる先進国や大国なども例外ではありませぬ

 ソ連はスターリン時代に大粛清を行い自国の多数の民を殺害しました、中国は天安門事件などで軍を動員して同様のことを行い、現在でもとりわけ少数民族にたいして銃口を向けています、米国でも黒人の暴動などに際して州兵が自国の市民に銃口を向けたりしています、イギリスも北アイルランド紛争で軍が自国民に銃口を向けました、フランスは、アルジェリア戦争のときにアルジェリア系の自国民に対しては銃口を向けました、ドイツはナチス自体に自国の市民にも銃口を向けていました

 幸い日本の場合、戦後は実質的に軍隊であるところの自衛隊が日本国民に銃口を向けたことはありません、戦前は、あの明治の元老・岩倉具視が『皇室の爪牙たる軍隊と警察を左右に引っ提げ、身に寸兵尺鉄を帯びざる人民をして戦慄せしむべし』と言っておりますから、軍による市民の大量虐殺はなかったものの、市民はたえず国家から銃口を向けられていたというべきでありませう、

しかしながら戦後、自衛隊が市民に銃口を向けるかもしれないと思われたことが一度ありました、1960年の安保闘争のとき政府は自衛隊を出動させることも検討していたのです、もしあのとき自衛隊が出動していなならば、日本の戦後史は大きく変わっていたことでありませう

 つまり以上に申し述べましたことからわかるように、20世紀の歴史を見れば、軍隊が自国民に銃口を向けることは決して珍しいことではないのです、その確率は小さくない、いやむしろかなり大きいのではないかというのがGGIの観方であります、つまり軍隊と言うのは外国と戦うだけが能ではない、自国民を相手にすることも仕事のうちである、このことは歴史が明確に証明しているとGGIは考えるのです

 まさか上記のポスターを掲げている某政党が、自衛隊が国内で市民に銃口を向けることを肯定しているとは思わないのでありますが、ポスターに示されている「外国で」という文言は誤解を招きかねないものです、ですから、削除されたほうがいいのではないかと、GGIは某政党に対して老婆心を発揮したいと思います、

 えっ、何ですか、我が党の方針は自主防衛であり、どこか外国の軍隊が攻めてきた場合は断固戦うのだから、そのような場合を想定して、わざわざ「外国で」という語句を付け加えたとおっしゃるのですか?

 でもですねえ、どっか外国が攻めてくるかもしれないという発想は、あなた方が目の敵にしている某政権与党やその周辺の、大嫌いであるところの某国(複数)がいつか日本に攻め込んでくるかもしれないという被害大妄想とも言うべき発想と大差ないじゃないですか

 ヨッサリアン脱戦クラブの代表者であるGGIといたしましては、そのような一見リアルそうでも実はちっともリアルではないお考えを放棄されるよう強く要望いたします(なぜ実はリアルではないかという点にについて記そうとしますと延々と長くなりそうですので、今夜は省略いたします)

えっ、なんですか、そんな意味じゃない、あのポスターは集団的自衛権容認反対の意味だ、だから「外国で」と記したんだとおっしゃるのですか?お気持ちはわからないでもないのですが、「外国で」と書かれていますと、つい「じゃあ、国内はどうなんだ」と言いたくなります、誤解を招きかねないどうにも紛らわしい表現であります、ですから「わが国民のみなさんのために《外国で》を削除されるよう、希望します」

 ああ、今夜もとんでもない方向に脱線してしまいました、どうかお許しくださいませ

 グッドナイト・グッドラック!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする