今週末に死刑問題の映画上映会を行うことになっていますので、今夜は米国の死刑制度についてちょっぴり勉強してみました
先進国で未だに死刑制度が存在しているのは米国と日本だけです(ただし米国では3分の1以上の州がすでに法的に廃止しているか事実上廃止しています)
米国では死刑制度があるものの、死刑事件の弁護に際しては、非常に厳格な手続きが取られるべきだという理念が広まっており、多くの州でそのための制度が整えられています、これは死刑という重大な選択が行われる場合は、他の刑罰以上に、できるかぎり慎重かつ厳格な手続きを踏むべきだという考えに基づくものです
この理念は「スーパー・デュー・プロセス」と呼ばれるものです、先日の新聞にその概要を説明する短い記事が掲載されていました。今夜の写真はこの記事を撮ったものです、日本における死刑事件の弁護のあり方を特集した記事(朝日)の記事の一部です、クリックしてご覧になってくださいませ
この記事によりますと、米国では死刑事件に関して三つの方針が定められています
一つ目は、死刑判決を下す場合には陪審員全員の一致を必要とするということです、
二つ目は、死刑判決が下された場合は本人の意思に関係なく自動的に上訴(高裁への控訴、最高裁への上告)が行われなけらばならないということです、
三つ目は死刑確定後に審理のやりなおし(再審)を求める場合は公費で弁護人を付けることができる、ということのです
日本の裁判員裁判では死刑判決は全員一致ではなく多数決で下されます、米国で全員一致であることが求められているのは人間の命を多数決で決めるべきではないという考え方に基づくものです
また死刑判決が下された場合、日本では弁護士さんたちは上訴するように努めるのですが、本人が希望しない場合は上訴することはできません、このため一審のみで死刑が確定し、死刑を執行される死刑囚もいます、米国の場合、死刑判決というのは人の命を奪うという究極的な刑罰であるため、本人の意思に関係なく、慎重を期して高裁、最高裁において死刑判決が妥当なものであるか、さらに厳密に審理を行うべきであるという考え方に基づいたものだと思われます
また再審請求に際しては、日本では公費で弁護士を付けるということは行われていません、この場合も、米国では、死刑判決という重大な判決については最後まで法的に争う権利が与えられるべきであるという考え方に基づいているのではないかと思われます
日本では、死刑事件に取り組んでおられる弁護士さんは弁護のやり方についていろいろ努力されていますが、このスーパー・デュー・プロセスの理念は日本の裁判ではまだまだ根付いていません
このところ警官が黒人を撃ち殺したり、逮捕に際して殺してしまうという米国の民主主義の危うさを感じさせる事件が続いています、しかし、死刑制度を存続させるにしても、死刑事件に関しては、できる限り公正で厳格な手続きを踏むことにより、間違い、冤罪などえ防ぎ、死刑判決を下された人間の権利を保障しようという姿勢に、このようなは米国式民主義に、GGIは日本式民主主義よりもずっと健全なものを感じます
グッドナイト・グッドラック!