今日の日記は一昨日の日記「超初級貧困問題講座」のつづきです。また、楽しくも面白くもない話かと思わるかもしれませんが、たいせつな話ですので、よろしければおつきあいくださいませ。内容は湖都の市内で最近行われたNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」によるレクチャーの内容や資料に基づいたものです
《貧困は様々な要因による重層的な問題》
貧困に陥る原因は一つではありません。実際には以下に記すようにさまざまな事柄が原因としても存在しています
失業 労働問題 家族関係 暴力 自死 ハラスメント 差別 ジェンダー 病気 不安定な仕事 病気 孤立 虐待 社会的排除 借金 障がい 依存症 ホームレス などなど
金銭的な理由だけで貧困に陥るとは限らないのです。これらの要因がからみあって貧困に陥ることが少なくありません。また、これらの要因は貧困の「原因」であるだけではなく、貧困の「結果」であるとも言えます。貧困に陥った結果、これらの状態に置かれることになるのです
一方、「経済的な貧困」は「つながりの貧困」とも関係があります。困った状態に陥ったときに助けてくれる家族や友人、知人などがいるか、あるいはさまざまな社会的なグループや支援のための社会的制度などとのつながりを持っているかどうかということが貧困に陥るか否かを左右するといえます。このような意味で「経済的貧困」と「つながりの貧困」のあいだには密接な関係があると言えます。
「貧困」は「貧乏」とは異なります。「貧困」というのは主に収入が少な過ぎるか無いという経済的な理由で生活が苦しくなり、最低限の暮らしも困難になる状態を意味していますが、「貧乏」は収入は十分とはいえず贅沢はできないものの、「貧困」により生活に窮するほどの状態ではないことを言うのでありませう。
《生存権の話、あるいは日本国憲法について》
日本国憲法第25条には「生存権」に関する規定が設けられています。
1 すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生上の向上及び増進に努めなければならない。
「生存権」は当初、GHQによる憲法草案には記載されていなかったものの、民間の立場から提出された「憲法草案要綱」に記載されていたそうです、ドイツの憲法(基本法)にも「生存権」に関する規定がありますが、ドイツの場合は人間の「尊厳」という表現が盛り込まれています。つまりドイツでは「生存権」は「社会の一員として尊厳を持って生活をする権利」として捉えられているのです。
GGIはこれは、生存権に関する日本の憲法の規定は、とても立派な誇るべき規定であると思います。日本国憲法の中で一番大切な条項かもしれません。憲法第9条をめぐる問題も重要ですが、とりわけ現に日々の暮らしに困っている人々、貧困あるいは貧困に近い状態におかれている人々からからすれば、生存権を規定した第25条をめぐる問題は第9条よりずっと差し迫った重要な問題であることは言うまでもないであろう、とGGIは確信しております。
《生活保護制度について》
現在、生活保護を受けている人々は日本全体で約215万人とされています
国家予算では約3.7兆円(約13%)が費やされています。この額を多いと見なすか少ないと考えるか・・・国の歳出のうち、一番多く使われているのは、社会保障関係費です。平成29年度の社会保障費の総額は約32兆円です。この総額と比べてみなさんはどうお考えになるでせうか・・・
生活保護利用者の世帯構成は次の通りです。
高齢世帯:51%、傷病・障害世帯:27%、母子世帯:6%、その他の世帯:16%
すわわち、生活保護制度は高齢、傷病・障害、母子世帯など困難な状況に対して生活をを支えている役目を果たしているのです。ですから「最後のセーフティネット」とも呼ばれるのです。
《「捕捉率」が低い日本の生活保護制度》
生活保護の「捕捉率」という言葉があります。これは、本来利用できる人々のなかで実際にどのくらいの人々が利用しているのか、その割合を意味しています。その2010年におけるデータを今日の写真に示しておきます(日本弁護士連合会「Q&A今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?」2014年)。どうか拡大してご覧ください。
生活保護の捕捉率は、ドイツでは6割以上、フランスでは9割以上、イギリスでは4割~9割、スウェーデンでは8割以上に達しています。しかしながら、日本ではわずか15~18%に留まっています。
この欧州諸国との大きな差には驚かされますが、このことは日本では生活保護制度を利用できるぐらいの状況にまで困窮していても、生活保護を利用していない人々が非常にたくさん存在していることを意味しています。なぜ、このようなことが起きているのでしょうか。このことの原因としては以下のような事柄が考えられます。
・生活保護を受けることで社会的に負の烙印(レッテル)を貼られてしまうのではないかと懸念していること。すなわち、生活保護利用を恥ずかしいと思ってしまう、近所の人に知られたくないなどの恥の意識や偏見が、本人や周囲の人、社会全体に強いこと。
・扶養義務の問題で、家族や親族に知られたくない、迷惑をかけてしまうと思って申請をあきらめてしまうことこと
・役所によるいわゆる「水際作戦」で、窓口に相談に行っても、きちんと対応されずに追い返されること。
・「持家だから無理」「車を売らないといけない」「若いから無理」など誤まった知識や価値観にとらわれて制度の利用をためらってしまうこと。
これらはいずれも、生活保護や社会保障のしくみへの正しい知識や、私たち一人一人が持っている権利に対する理解が不足していること、社会全体がそれを共有できないことからきています。
今日はこのへんで失礼いたします。まだ続くかもしれませぬ。
なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!