昨日は秋晴れの一日でした。べつに怠けてばっかりいたわけではないのですが、ダラダラ雑事で時が過ぎてしまい、貧困問題入門のつづきを書かなくては思っているうちに日がかわってしまい、時間がなくなりました。
かようなしだいで、今日は貧困問題から遠く離れて、なぜか富士山の話です。
みなさんもご存知のように、日本の象徴は憲法では天皇と言うことになっておりますが、それはどうかなあと常日ごろGGIは疑問を抱いております。別に天皇制がどうのこうのという意味からではなく、「象徴」という言葉を人間に使うのは果たして言葉の使い方として正しいのか、如何なものかと疑問に感じているからです。
念のため憲法第一条の条文を以下に示しておきます・
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
「象徴」は英語ではシンボルですが、この言葉、一般的にはモノ(あるいは動物)を指す言葉ではないかと思われます。たとえば王位を象徴する王冠、平和のシンボルである鳩などです。ある生身人間が何かの象徴とされる例はほとんどないのではないでせうか?たとえば、あのヒットラーを、ファシズムの象徴、シンボルなどと言ったりするでせうか?何かおかしいですよね・・・
ですから「日本の象徴である日の丸」ならば、日の丸の旗はモノでありますら、すんなり理解できるのですが、人間が象徴とはね?と何か引っかかるものがあって、GGIは憲法第一条の条文には幼き頃から疑問を感じているのです。要するに違和感がぬぐえないのです。
一説によれば日本国憲法草案の原案である英文にsymbolと記されていたので、それをどう訳してよいかと悩んで、それまであまり用いられていなかった言葉、「象徴」と訳してしまったそうでありますが・・・
などと書きますと話がどんどん脱線していきそうでありますので、話をもとに戻します。今日のテーマは富士山であります
「日の丸」には国民の間に好き嫌いが存在しているという意味で日本を象徴するものとしては問題があるかもしれません。そこで何が日本のシンボルとしてふさわしいかと考えましたところ、GGIはむしろ日本の象徴としてずっとふさわしいのは「富士山」ではないかと思い至りました。ちなみに「富士の山」の歌詞は以下のとおりです
あたまを雲の上に出し
四方の山を見おろして
かみなりさまを下に聞く
富士は日本一の山
この歌詞から考えてましても、富士山は日本のシンボル、ということには異議ありの声はあまり聞こえてこないのではないかと思います。富士山の悪口は聞いたことがありませんし、外国の方々にもたいへん評判が良いようでありますから、富士山を日本国の象徴とすることしてはいかがでありませうか?
と前置きが長くなりましたが、今日は限りなく透明で繊細な、あの《富嶽三六景》を描いた北斎さんも真っ青になりそうな富士の姿をお見せいたします
ウソなんかではありませぬ。ウソだ、GGIなんかの言うことはウソにきまっているではないかと思われる方はご覧にならなくて結構、でもソンをしますよ!
まあ、ウソを承知のうえで結構ですから、クリックしてしかとご覧になってください。いかがでせうか、なんと繊細な、限りなく透明な富士の山ではありませんか!
こんな素晴らしい富士山、今まで誰の目にしたことがないとGGIは確信しております。
この富士山の作者は誰であるかお分かりでせうか?わからないでせう・・・
答を言います。この作者はクモ君です、これはクモくんが描いたウェブ、すなわちwebであります。以前の日記にネットの用語であるwebは元々は「クモの巣」の意味であると書きました。張り巡らされた蜘蛛の巣から連想してネットの通信網を意味する言葉としてwebが用いられるようになったのです。そんな以前のどうでおいい日記のことなんか記憶にないとおっしゃる方は以下のサイトをご覧になってくださいませ。
http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20160611
クモ君はネットの世界を作り出した天才なのです、ですから北斎も真っ青の富士山を描くことができるのも当然なのであります
なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!