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長野県朝日村にて 描画日2022.02.06
■ 描きやすい風景だと思って線描し始めたが、風景構成要素の位置関係が単純ではなく、描きにくいことに気がついた。きちんと細部まで観察しないで描くと、その部分がやはり良くない。もう一度描きたい。
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長野県朝日村にて 描画日2022.02.06
■ 描きやすい風景だと思って線描し始めたが、風景構成要素の位置関係が単純ではなく、描きにくいことに気がついた。きちんと細部まで観察しないで描くと、その部分がやはり良くない。もう一度描きたい。
■ 今日(9日)届いた封書に貼られていたのはシクラメンがデザインされた84円切手だった。普通切手かなと思ったが、調べると2021年10月20日に発行されたおもてなしの花シリーズ第17週の切手だった。この時は他にビオラ(知らない名前だったので調べた。園芸上はパンジーの小輪多花性種という説明がみつかった)、ミツマタ、ポインセチア、バラの切手が発行されている。シクラメンの切手は今の季節に相応しい。それにしても切手の種類は多い。
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■ 『いま、幸せかい? 「寅さん」からの言葉』滝口悠生(文春新書2019年)を読む。
大の寅さん好きだという作家・滝口悠生さんが寅さんシリーズ最後の作品「お帰り寅さん」を除く全49作の完成台本を読み通して名場面をピックアップして、「家族について」「世ちがらい浮世のこと」「恋愛について」「女性の生き方について」「旅と浮世のこと」「みんなが語る寅さん」というテーマにまとめて紹介している。
寅さん映画で好きな作品も印象に残る場面・台詞も人それぞれ。本書に収録された台詞を読んで、意外に思ったり、確かに、と納得したり、楽しかった。
「私、人妻になって初めて寅さんの魅力わかったんだもん」 え、こんな台詞、誰が言ったんだっけ? そうか、あけみちゃんか。(*1)(199頁)
「伯父さん」
「何だ?」
「人間てさ」
「人間?人間どうした?」
「人間は何のために生きてんのかな?」
「何だお前、難しいこと聞くなあ、え?」
「うーん、何て言うかな。ほら、ああ、生まれてきてよかったなって思う
ことが何べんかあるじゃない、ね。そのために人間いきてんじゃねえのか」
「ふーん」
「そのうちお前にもそういう時が来るよ、うん。まあ、がんばれ、なっ」
(221、222頁)
寅さんを送って柴又駅まで行った満男君が寅さんに生きる意味を問うこの場面はぼくも印象に残っている(過去ログ)。だが、この場面だけピックアップしてもなぜ満男君が寅さんにこんな哲学的な問いかけをしたのか分からない。やはり作品を通しで観なくちゃ・・・。
また、全作品を観ようかな。
*1 タコ社長の娘
■ 第166回直木賞を『塞王の楯』で受賞した今村翔吾さんのデビュー作『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』(祥伝社文庫2021年第20刷)を読み終えた。
**「拙者は折下左門と申す者。主君戸沢考次郎様の命を受け罷り越しました。是非とも当家にお迎えしたい」
源吾が住むおんぼろ長屋に、立派な身なりの侍が使者として訪れた。(中略)
「松永殿のお力が必要なのです」**(13頁)
壊滅的な状態となった出羽新庄藩の火消し組の再生を託された男、松永源吾。組織の一からの立て直し、まずは人材確保から。
主要なメンバーが火消し組に加わってきた経緯がそれぞれ章立てされ、短編として成立するのではないかと思われるほどの密度をもって描かれる。膝の故障を抱えている「土俵際の力士」、軽業師で惚れた女のために借金をしている「天翔ける色男」、引きこもりの天才的な学者「穴籠りの神算家」。
再スタートした火消し組、ぼろ鳶組と揶揄されるような集団でメンバーに加わった彼らがそれぞれの個性、能力を発揮して江戸の大火で活躍するようになっていく・・・。物語の後半は江戸のまちで火災を頻繁に発生させる火付けを探すというミステリアスな展開。
物語の起伏がかなり「増幅」されて描かれているのは、映画にも見られる今時の流れか。
火消し組の頭・源吾を支える妻の深雪はしっかり者、実に魅力的な女性で存在感がある。夫を励ます深雪のことばに涙。このことを追記しておきたい。
作者の応援メッセージを次のように読み取った。ぼろを纏っていたって心は熱く! 人生決して諦めちゃ、いけねぇ。
江戸の消防事情について詳しく書かれているのもうれしかった。
追記:2023.02.01再読
■ 立春、名のみの春。平日のそれも昼食にすき焼きを食すなどという贅沢とは無縁な身だが、昨日(3日)その機会があった。そう、昼食に長野のすき亭ですき焼きを食した。りんごで育った信州牛は美味であったが、食レポは資格なし故、略す。
すき亭別館の洗心亭について。
女将さんと思しき方からいただいたリーフレットによると、この建物は明治21年(1888年)、渋温泉(山ノ内町)に建設された大湯(公衆浴場)で、多くの浴客に愛されれたという。昭和36年(1961年)、鉄筋コンクリート造で改築されることになり、木造の大湯は解体撤去されることになっていたが、篤志家が払い下げを受け、保存してきたとのこと。その後、昭和48年(1973年)にすき亭の前庭に移築復元された。その際、浴場は茶室に改修されている。店員さんに訊けば見学可とのこと、食事の後、見学させていただいた。
湯気出しの櫓の壁面は塞がれている。繰り返しの美学な軒下の持ち送りが外観上の特徴でなんとも魅力的だ。持ち送りは単なる飾りではなく、梁の補強の意味もあるだろう。多雪地域で軒にも雪の荷重がかかるので。
重厚な唐破風
懸魚 松に鶴。
茶室の扁額「水月」
蹲踞 左に湯桶石、右に手燭石、それから前石
平六畳の茶室 畳は床差し敷。天井には蛭釘、その向きから流派が裏千家だと分かる。
このように建築文化が大切に守られているのは嬉しい。
■ せんべいの中心部に加力した場合、どのような割れ方をするか、昨日(1日)の夜「実験」してみた。
① 硬めのせんべいの縁を箸に載せて①-1のようにセット。中心部(黒点)に箸の元で鉛直方向から力を加えてどのように割れるのか試してみた。結果は①-2の通り。
①-1
①-2
この結果は①-3のように加力点と支点(箸のところ)を結ぶ線上で割れていると見てよいと思う。右側は少しずれているけれど。
①-3
② 少し軟らかいせんべいではどうか。
②-1
②-2
②-3
割れ方は①の場合とは明らかに違う。右下方向には割れなかったが、②-3に示したように加力点と支点と支点の中間点を結ぶ線上で割れていると見てよいと思う。
せんべいは厚さが均一ではないし、材質的にも均一ではなく、かなりばらつきがあるから①-3、②-3のように、理論的に考えられる割れ方と一致することはないだろうが複数回実験することで確かな傾向がつかめると思う。
①と②の割れ方の違いはせんべいの硬さというか、強度の違いによるものと思われる。
厚さが一定で材質的に均一な供試体で試してみたい。そんな供試体はないだろうか・・・。
ビスケット! そう、ビスケットが良い。
次回はビスケットで試してみよう。