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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

707 小諸市滋野甲の火の見櫓

2016-11-04 | g 火の見櫓観察記


707 火の見櫓のある風景 撮影日161103



屋根の下にどっしりと存在感のある半鐘を吊り下げてある。半鐘を叩く木槌も2本下げてある。



屋根頂部の避雷針の飾りに注目。鎌の形をしたもの(名前を知らない)を2本(?)交差させて取り付けてある。更に七夕で飾るようなもの(これも名前を知らない、分からない)も付けている。火伏の飾りではないかと思うがどうだろう・・・。たかが火の見櫓の飾りなどと思うことなかれ、と自戒。飾りにも意味があるはずだ。

避雷針から接地線を伸ばしているが、このようにしている事例をいままで見たことがあったかどうか。




4角形の櫓の2面に踊り場を張り出している。これをカンガルーポケットと呼んだものかどうか・・・。この踊り場の平面形、なかなか好い。


 

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旧東部町のマンホール蓋

2016-11-03 | g 地面の蓋っておもしろい〇



 東御市(旧東部町)のマンホール蓋 亀甲模様、蓋の中心の円の中に東部町の町章を配し、「下水道」と表記している。



合併前の市町村のマンホール蓋を網羅的に集めることは端から目指していない。長野県に現在ある77市町村で火の見櫓を背景に写真を撮れれば良しとする。


 

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706 東御市県の火の見櫓

2016-11-03 | g 火の見櫓観察記


706 火の見櫓のある風景 東御市(とうみし)県 

■ 予定通り東信方面へ出かけた。先ずは東御市。東御市は2004年(平成16年)に小県郡東部町と北佐久郡北御牧村が合併して誕生した。市の名前は旧町村から一文字ずつ取って付けられた。東御市役所の近くに立っている火の見櫓。








 

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松本城下の学校

2016-11-03 | g 歴史的建造物〇



■ この錦絵に描かれているお城は松本城です。濠に橋が架けられています。橋の先の建物は1885年(明治18年)に竣工した長野県中学校松本支校(松本深志高校の前身)の校舎。現在の松本市立博物館の場所です。大通りの向かいの建物(現在の日本銀行松本支店の位置)は師範松本支校の校舎。

先日松本市内の古書店の店先で見つけた絵はがきです。 



松本深志高校創立140周年 企画展会場にて

松本城の南側はこんな様子だったんですね。左端に写っているのは上の錦絵に描かれている松本城の遺構、南櫓。


 

 

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「弘法大師空海と出会う」

2016-11-01 | g 読書日記



 月末の新聞に岩波書店の広告が載る。昨日(10月31日)の広告に『弘法大師空海と出会う』川崎一洋/岩波新書が他の新刊書と共に載っていた。早速買い求めてスタバで少し読んだ。

『日本の景観』樋口忠彦/春秋社を読み終えたら、読もうと思う。他にも読みたい本(
高田郁の「みをつくし料理帖」シリーズなどがあるが、この本を優先する。

菩提寺が真言宗の寺ということが直接のきっかけでここ数年、空海の関連本を読んでいる。このブログの過去ログを検索してみたところ、次のような本が見つかった。











4艘の船で構成された遣唐使の船団のうち2艘が悪天候で消息を絶ってしまう。最澄と空海が乗った2艘は唐に流れ着く。恵果和尚は空海に密教を余すことなく伝授して間もなくこの世を去る。少しタイミングがずれていたら、空海は恵果に会うことができなかった。

そう、空海は天才だが、強運の人でもあった。空海の帰国後、数年(3年だったかな)して嵯峨天皇が即位する。もし嵯峨天皇という空海のよき理解者がいなかったら、空海にあれ程の活躍の場があったかどうか・・・。


 

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