「お母さん、あの箱どうするの?」
正広が聞いた。
「多分火葬場で焼かれるんでしょう」
「どうして?」
「どうしてって、日本では死んだ人は焼かれるんです」
正広はぎょっとしたように私の顔を見た。
「僕だって死ねば焼かれる?」
「そうよ、誰だってそうなのよ。だから死んじゃいけない、ね」
藤原ていさんの『流れる星は生きている』を読み終えた。終戦を満州で迎えたていさんは3人の幼い子供と共に命がけで日本に引き上げてくる。長男が5歳、次男(数学者の藤原正彦さん)が2歳、末っ子はまだ乳飲み子。ていさんを支えたのは我が子を死なせてなるものか!という強い意志、深い愛情だった。
「日本人、ほんとうに気の毒だと思っています。だが、今あなたにものを上げると、私は村八分にされます。(中略)日本人をみんな恨んでいます。でも、あなた方にはなんの罪もありません。今、私がものを捨てますから、あなたは、それを急いでお拾いなさい」
私は人の情けに涙した。
苦労に苦労を重ねて朝鮮半島を南下、ようやく釜山へ、そして帰国。博多から汽車で諏訪へたどり着く・・・。
「しっかりしなさい、てい子」
「さあ、しっかりつかまって」
私は両親に両方から抱きかかえるように支えられて霧の深い町を歩いて行った。
「これでいいんだ、もう死んでもいいんだ」
(中略)
「もうこれ以上は生きられない」
私は母親の深い愛情に感動、涙した。
久しぶりにいい本を読んだ。
2009年9月14日の記事を再掲しました。
■ 昨日(19日)の朝刊で小説家・随筆家、藤原ていさんの死去が報じられた。98歳、老衰だったという。昭和24年に書かれた「流れる星は生きている」がベストセラーになったことが記事にある。長女の咲子さんの**「私を必死に守り抜いてくれた母には感謝しかない」**というコメントも載っている(19日付信濃毎日新聞朝刊 35面、第一社会面)。
謹んで哀悼の意を表します。