透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「 本所おけら長屋(二十)」

2023-03-05 | A 読書日記


 書店に『本所おけら長屋(二十)』畠山健二(PHP文芸文庫2023年)が平積みされていた。帯のついに完結!の文字におもわず「えっ」。・・・・・・か?  

ん? 完結するのか、しないのか気になって、手に取って巻末を見たが何も書かれていない。完結なら作者か出版社・編集部のあいさつ文が掲載されているのではないか。

ネット情報に、第一章完結、第二章構想中とある。第一章で20巻。まだまだ何年も続くだろう。情に厚いおけら長屋の人たちと別れるのはつらい。ずっとつき合っていきたいと思う。

早速買い求めて、収録されている3編「おとこぎ」「ひきだし」「とこしえ」のうち、前の2編を昨日(4日)読んだ。「ひきだし」を読んでいて、涙が頬を伝うこと何回か。

長屋の住人・万造は捨て子だったけれど、母親が見つかり、再会を果たすという話。読んで思った、人のつながりは情報のつながりだと。タイトルの「ひきだし」は内容を象徴している。

母子再会の場面が好い。松本清張の『球形の荒野』のラストシーンが浮かんだ。名乗らずともお互い相手が誰か分かるということが共通している。

**万造は嬉しかった。自分は捨て子ではなかった。親に捨てられたのではなかった。そして、自分のことのようにお節介を焼いてくれる仲間たち。そこにあるのは、ただ、心の底から仲間のことを思う純粋な気持ちだけだ。**(135頁)

**「私、少しは大人になったような気がします。世の中には辛い思いをしている人がたくさんいるんです。それを胸の奥に隠して、だれにも話さず、だれにも助けを求めず、じっと耐えて暮らしている。切ないです・・・・・」
お染は、お蓮の背中をそっと撫でる。
「そうさ。多かれ少なかれ、みんな同じなんだよ。だから、あたしたちは助け合いながら生きていくのさ。それが長屋暮らしってもんなんだよ」**(177頁)

感性が鈍ると、このくらいストレートで説明的な表現でないと、分かりにくい。残りの「とこしえ」は読みかけの『草枕』を読み終えてから読むことにする。


目次の次に見開きで本所おけら長屋の見取り図が載っていて、住人たちも示されている。その次のページには「本所おけら長屋関連略地図」が載っている。略地図は第1巻を除く全巻に載っているが、おけら長屋のすぐ近くに回向院があることに初めて気がついた。やはり意識しないとものを脳は認識しない。この春、そう5月後半あたりに回向院をお参りしたいと思っているので、地図上に示されていることに気がついたのだろう。おけら長屋の住人のたまり場というか作戦会議をする飲み屋・三祐(*1)が長屋のすぐ近くにあること、医者のお満さんが働く聖庵堂が長屋から少し離れたところにあることは前から分かっていたが・・・。

*1 三祐という店の名前が地図に載るのは第8巻からで、7巻までは居酒屋と表記されている。改めて20巻まで地図を見直して気がついた。


 


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