透明タペストリー

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木曽義仲 松本成長説

2022-04-20 | A あれこれ

 NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で青木崇高が演じる木曽義仲が注目されている。木曽義仲、幼名・駒王丸。出生地は武蔵国、現在の埼玉県と伝えられる。義仲の父の義賢は義朝(義賢の兄)との対立で、義朝の息子・義平(義仲のいとこ)に討たれる。まだ2歳の駒王丸にも義平から殺害の命が出されたため、義仲の乳母の夫・中原兼遠と共に信濃国に逃れ、木曽で育ったとされる。この通説「義仲の木曽成長説」に異を唱えた歴史学者がいた(過去ログ)。

その歴史学者の名は重野安繹(しげの やすつぐ)。このことについて調べて、重野博士が明治27年9月30日に旧制松本中学(現松本深志高校)で「木曽義仲の松本成長及佐久挙兵説」を講演していること、そしてその抄録が「松本市史」に収録されていることが分かった。

ではその「松本市史」はどこにある? あるとすれば松本中央図書館だろうと、同図書館のサイトで蔵書を検索するとヒットした。昨日(19日)松本中央図書館に出かけて「松本市史」を閲覧した。


松本中央図書館 撮影日2022.04.19

「松本市史」(上下2巻)は昭和8年(1933年)に発行されている(編集兼発行 松本市役所)。上巻の第五章 鎌倉時代の第一節に「義仲の松本成長説」という見出しの記事があり、講演の抄録が掲載されていた(103~105頁)。


「松本市史」上巻103頁

重野博士は木曽山中を義仲の成長地とする説について**余は其必ず誤謬なるを思ふ者なり。**と強く否定している。抄録を読み進むと、**兼遠は當時信濃國の權守なりしが故に信濃に來りしなり。**と信濃国に逃れた理由を説明している。で、当時の木曽について**兼遠の時代には中々人を成長せしむべき處に非りき。**としている。**中原兼遠は名こそ權守なれど其實は國守なりしなり。**だから、**若し義平が攻め來るとも四方の嶮崕を鎖して之を防がば、毫も恐るべきに非ず、何を苦んで人跡稀なる木曾山中に育てんや。**(104頁)と説き、**義仲は決して木曾山中に成長せし者に非ずして、必ず此松本に成長せし者なるべしと思うなり。**と結ぶ。(太文字化、筆者)重野博士は義平は義仲をさほど厳重に捜索しなかったとも述べている。

義仲は兼遠の息子の樋口兼光、今井兼平と共に遊んだとされている。このことについて重野博士は**義仲四天王中の樋口兼光、今井兼平は共に中原兼遠の子なり。**と紹介、続けて**兼光の居住したる樋口村は鹽尻村の彼方に今も尚残り、兼平の居住したる今井村は現に東筑摩郡中に在り、義仲は實に松本今井樋口の間に成長し、兼光兼平と共に遊びたりし人なり。**としている(104頁)。

抄録の後半は義仲が木曽ではなく佐久で挙兵したことについて記されている。義仲が木曽ではなく、佐久で挙兵したとする説については本稿では触れない。

抄録中の鹽尻村(現塩尻市)の先にあるという樋口村は現辰野町樋口、東筑摩郡今井村は現松本市今井(今井には今井兼平が中興の開基といわれる宝輪寺がある)。義仲、兼光、兼平の3人が子どものころ一緒に遊んで育ったということになると、義仲が木曽で育ったとする説には無理があると思う。距離的に離れすぎている。義仲が今井の近くに、今井兼平が今井に暮らしていて樋口兼光が現辰野町樋口から出てきていたとするなら頷ける。当時の移動手段からして、辰野町樋口あたりは辛うじて日常的な徒歩圏内だったと思うので。

では義仲が暮らしていた今井の近くとは具体的にどの辺りなのか・・・。これに関して、ウキペディアには東筑摩郡朝日村(朝日村木曽部桂入周辺)という記述がある。現在の塩尻市小曽部(木曽部→小曽部?)かその西側、朝日村西洗馬辺りで成長したと考えるのが妥当、ということになりそうだ。朝日村西洗馬には義仲によって中興されたとされている古刹・光輪寺がある。この寺の起源の古薬師は光輪寺薬師堂(前稿のヒヨドリの写真を撮ったところ)の裏手にあったようだが、そのあたりは桂入と呼ばれていた。


信濃毎日新聞4月8日付朝刊22面(地域面)

ところで朝日村には御馬越(おんまご)、御道開渡(みどがいと)という地名がある。木曽で挙兵した義仲が馬で山越えして朝日村に至り(御馬越)、自ら道を開いて進んだ(御道開渡)という説に因む地名とされているという。このことが先日、信濃毎日新聞に掲載された記事で紹介されていた。しかし残念ながら、記事では義仲が松本で育ったという本稿で紹介した説については触れられていなかった。

実証的な史料がない古い歴史は言ったもん勝ち。義仲は朝日に立ち寄ったんじゃない、朝日で育ったんだ!と早くから宣伝していたら・・・。たらればは無しか。


松本中央図書館の蔵書に拙著『あ、火の見櫓!』がある。試みに検索してみると貸出中だった。うれしい。