透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

本が記憶していること

2020-04-27 | A 読書日記



 前稿に書いた通り、書斎の1,100冊もの文庫本を整理した。書棚に残した文庫本はざっと数えるにおよそ200冊。『吾輩は猫である』も残した。漱石の代表作であるこの小説をはじめて読んだのは一体いつだったのか、記憶も記録も無いから分からないが、たぶん高校生の時。その時の本が左の文庫かもしれない。一方、右の文庫は奥付けに記されている発行年が平成28年となっている。この年(2016年)に読み始め、翌年早々読み終えたことは記録(過去ログ)があるから分かる。

この2冊は残すことにしているが、もしどちらかを処分するとすれば、新しい本を処分する。本は内容が同じでもそれ以外の情報を残している。好きな女性(ひと)と初めてカフェで会った時に一緒だった本、話題にした本。悩んでいた時に読んで慰めてもらった本。コーヒーのシミの残る本・・・。どうやら電子書籍との違いは、この辺りにありそうだ。

僕はより古い記憶を留めて置きたいと思っているようだ。書棚に残した文庫本を見て気がついた。

北杜夫の『幽霊』新潮文庫 はこう始まる。**人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。(中略)そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。**