前々稿のタイトル「火の見櫓観察の世界に出口なし」は「ポストモダンに出口はない」に倣った。これは建築家・丹下健三の言葉だ。
建築デザインにもポストモダンが流行ったとき、丹下健三はこの言葉をポストモダンは建築デザインの大きな潮流にはなり得ず、優れた成果も得られないという意味で使ったのだった。
だが、丹下健三の晩年の代表作、東京都新庁舎はポストモダンではないか、とも評された(私はあのデザインがポストモダンだとは思わないが)。
ポストモダンを批判というか揶揄しておきながら、ポストモダンなデザインをするのか・・・と、その節操のなさを指摘されて**あの時に言いたかったのは、ポストモダンは非常に魅力的な領域だから、いったん入ったらなかなか出てこられない。そしてその中でおぼれてしまう。**(157頁)『東京都新庁舎』日経アーキテクチュア編/日経BP社 1991年9月発行 と釈明コメントをしている。
「火の見櫓観察の世界に出口なし」というタイトルには先の引用文に倣えば「火の見櫓観察は非常に魅力的な領域だから、いったん入ったらなかなか出てこられない」という意味を込めている。まあ、その中でおぼれてしまえば本望というものだが、そんなことにはならないだろう・・・。