透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

国際文化会館

2009-06-28 | A あれこれ
 国際文化会館は六本木にある。六本木・・・、東京で生活していたころは全く縁の無いところだった。昨日(0627)初めてこの会館を訪れた。



会館は、前川國男、坂倉準三、吉村順三の共同設計による建築。確か取り壊しも検討されたが、耐震補強や大規模な改修工事が行われて生まれ変わったのが数年前のことだった、と記憶している。

同行の友人によると、本館棟の客室は以前は中廊下型で狭かったが、改修工事によって片廊下型となり、ゆったりとした客室に生まれ変わった、ということだ。

パンフレットには客室の内観写真が載っている。モダンな和の空間は吉村順三主導で設計されたのだろうか。外観のデザインは坂倉準三主導ではないか。薄いスラブや細い手摺、写真には写っていないが本館棟の妻壁は鎌倉の近代美術館に通ずる雰囲気だ。1階の壁に使われている大谷石も近代美術館と同じでは。

増築棟は東京都美術館と同じレンガ調タイル打ち込みの外壁。設計は明らかに前川國男。では、本館棟の前川國男のデザインはどこだろう・・・。



ロビーやティーラウンジはなんとも心地よい上品な空間。「普通の空間」と一体どこがどう違うのか。床や壁、天井、開口部など、空間構成要素を分析的に捉えても分からない。やはり空間の雰囲気は様々な要素が統合されて醸し出されるものだろう。確かなことは「時間」という要素が必須ということだ。

屋外には豊かな緑の庭園が広がっている。静寂な空間は都心に位置するとは思えない。京都の造園家 小川冶兵衛の作とパンフレットにある(旧古川庭園の作庭者も同一人物だが、庭園のパンフレットは小川治兵衛となっている)。

機会があれば再訪したいと思う。

「中公新書の森」入手

2009-06-28 | A 読書日記



 中公新書が通巻2000点を迎えたことを記念して製作された『中公新書の森 2000点のヴィジリアン』。昨日(0627)紀伊国屋新宿南店で入手した(無料)。 やはり東京の大型書店は松本の書店とは違う。

冊子には川上弘美のエッセイ「『宦官』のころ」、渡邊十絲子さんと奥原光さんの対談、「思い出の中公新書」というアンケートの回答(179人分)などが収録されている。

対談には渡邊さんの中公新書ベスト20が載っているが、その中に偶然にも先日ブログに取り上げた『近代絵画史』と『美の幾何学』が入っていた。長谷川尭さんの『建築有情』はサントリー学芸賞を受賞している。

巻末の略年譜によって、透明なビニールカバーから紙カバーに変わったのが1989年ということと、初代編集長が宮脇俊三さんだった、ということを知った。

アンケートの回答を読むと『胎児の世界』三木成夫を複数の人が挙げている。胎児は成長する過程で、生物の進化の過程をトレースするということを紹介している本らしい。この本はたぶん未読、今度書店で探してみよう。


繰り返しの美学の基本へ

2009-06-28 | B 繰り返しの美学



繰り返しの美学@新宿サザンテラス 090627撮影

 スポーツでも稽古事でも研究でも、まあ何でもそうだと思うがときどき基本にかえることが大切だと思う。

繰り返しという数理的な秩序は端整で美しい。

まあ、繰り返しの美学とはこのようなものだろう。その対象というか概念を平面的な繰り返しにまで広げた。それによって例えばヨーロッパの街並みの「美」も繰り返しの美学という概念で括ることができると考えた。

さらに繰り返しの美学と対をなすというか、相反する概念として繰り返さない美学についても考え始めた。知性によって知覚する繰り返しの美学ではなくて感性によって知覚する美学、日本庭園などの美などがその代表例だ。

今は更にそこから仏像にまで興味が及んでいる。発散的だが仕方がない。対象を広げることで本来の繰り返しの美学がより鮮明になる、ということもあるだろう。少し遠くから、しかも高いところから全体像をみることによって明確になる繰り返しの美学の本質。

昨日新宿南口を出て、紀伊國屋書店に向かう途中で見かけた「繰り返しの美学」。スタバのサッシの方立につけられた小旗。直線的に規則正しく繰り返すと、そこに美が生まれるということを前提にしたディスプレイ。

何回でも書く、繰り返しは美しい。