■ 白馬村佐野坂の蔵
そうか、蔵の外側の柱って雪囲いのためにあるのか・・・。北安曇郡白馬村で目にした蔵を観察しました。雪囲いは春になると外してしまうのでしょうが、この蔵には残っていました。近づいて囲いの内側を観察。柱に貫を通して、その外側に縦胴縁を打ち付けて板を張って雪囲いの完成。
柱は登り梁を先端で支えて積雪荷重を負担すると共に雪囲いを取り付ける下地の役目もしているんですね。 豪雪地ならではの工夫です。
松本辺りでは軒の部分の屋根下地は垂木だけですが、ここ白馬や小谷では登り梁を軒の先端まで持ち出して母屋を載せています。これも雪に備えて軒先を丈夫にするための工夫です。
所変わればデザイン変わる。だから民家は面白い。
■ 倉と蔵とでは意味が違うようですね。倉は主として穀物を納めるため、蔵は家財を納めるためのもののようです。なるほど、確かにこめぐらを変換すると米倉となりますし、かねぐらは金蔵となります。
ところで小谷村は全国でも有数の豪雪地帯ですから、建築にも雪害対策を講じる必要があります。この倉は腰壁を波トタンで覆っていますが、もともとは板張りでした。妻面の左側に少し見えます。安価でメンテナンス不要な材料となるとやはりこのような金属材料になるのでしょう。入り口上部の庇は後から付けたものでしょう。後方に民家が見えますが茅葺だったころは自然に溶け込んで美しかっただろうと思います。
このクラは蔵でしょう。壁の外側に木を組んでいますが下の写真で分かるように登り梁を下から支えています。この木組みの主たる目的は軒先にかかる積雪荷重を支えることでしょうか。隣りの白馬村辺りでも目にします。貫(柱をつなぐ横材)に藁束を掛けたりもするようです。全ての柱を地面まで下ろしていないのは何故? 邪魔にならないようにとの配慮でしょうか。やはり持ち主の方に取材しなくてはいけません。
切り妻屋根の棟に雪割りが付いています。これが無いと雪は屋根に布団をかけるように積ってしまいます。この雪割りによって積る雪が左右に「割られて」滑り落ちる、というわけです。雪国ならではの工夫です。
民家の姿は地方によって異なります。その理由を知るのは楽しいものです。長い歴史を経て培われてきた工夫の数々、現代の建築にも生かしたいものです。
■ 土蔵造りの長屋門に遭遇、車を停めて路上観察(旧四賀村にて080613)。
細長い土蔵の中央に大きな開口を設けて屋敷への出入口としている、そうまさにこれは長屋門の形式だ。両側は収蔵庫でどっしりとした引き戸がついている。開口の上部に木柄の大きな材料を使った床組みが見える。桁の上に窓がついている。この開口廻り、なかなか渋い意匠だ。
手前に柱が2本立っているが、ここに両開きの扉が付いていたのかもしれない。家の方にお願いして内部も見学させていただこうかとも思ったが、路上観察で済ませた。
こんな空間構成や開口廻りの意匠を住宅の設計に採り入れたら面白いな、観察していてそう思った。開口部分の床は木製のデッキ、どちらかの引き戸を玄関にして、正面にはアイストップとして樹形のいい花木を植える。2階は階高を抑えた小屋組み表しのザックリとした空間、シンプルな垂木構造を見せる。南側半分は吹き抜けの空間にしてもいい。外壁は塗り壁、一部板張り。難しいのは窓か・・・。
■ 久しぶりの路上観察(20080315)。
昨日所用で諏訪に出かけた。諏訪地方にはこのように一つ屋根の下に蔵と住宅を一体に造った「建てぐるみ」が今でも残っている。残念ながら蔵の外壁が傷んでいて妻側は波トタンを張ってしまっているが平側(写真の左側の面、暗くて分かりにくいが)は板張りのままだ。
若かりし頃は民家を訪ねて全国あちこち出かけたものだ。最近はその機会がなくなってしまったが民家を見かけると反応する。破風板を×状に交叉させるのもこの地方の民家の特徴。以前も書いたが板の小口は腐りやすい。そこで小口を塞ぐために別の板を付けて下のように「すずめおどり」とよばれる菱形の妻飾りとしたものもある。
屋根を地元で採れる鉄平石で葺くのもこの地方の民家の特徴。「地産地消」が民家の基本だ(地元産の材料を生かすという意味で「地産地生」という表現を見たこともある)。
この写真は1979年の撮影、当時はまだこのような立派な民家が数多く残っていたが最近ではあまり見かけなくなってしまった・・・。
「建てぐるみ」「すずめおどり」「鉄平石一文字葺き」「妻だれ」
諏訪地方の民家の特徴はこの4点。
民家 遠い昔の記録 (197910)
川越には久しく出かけていない。
この写真は金物屋「まちかん」、他にも和菓子の「亀屋」や松崎屋運動具店など、この年に撮った写真を保存してある。
火災に備えて莫大な建設費用を費やして造った蔵、その街並みは情緒が漂う。今でも健在であることを願う。
池田町、松川村にて撮影
蔵の妻壁の上部には上の写真のような家紋や屋号を印した円い部分があります。名称が当然あるはずですが、知りません。調べる「ずく」がありません。
どうしてこんな○印がどの蔵にもあるんでしょう・・・。
中の写真にそのヒントがあります。小屋組みによってはこのように棟梁が妻壁から顔をのぞかせることになります。蔵の小屋組みの場合、太い丸太が棟梁に用いられます。その円い小口が妻壁から突き出ていると、前稿で書いたように腐朽しやすいのです。で、小口を左官仕上げで塞いでしまった。その部分に意匠が施されて上の写真のように次第になった、というわけです。中には抜け殻のようにこのようなデザインだけが壁に施されている場合もあります。
壁から突き出た梁の上に小さな切妻屋根を架けた写真を既に載せましたが、あれが「傘」だとするとこちらは「カッパ、レインコート」ということになるでしょうか。
さて下の写真、以前も載せましたが懸魚です(普通の民家ではあまり見かけない形ですが)。 棟木は母屋より木がらが大きいことから破風板の下にこぼれてしまいます。そこで例の「目板」で小口を塞いだのですが、次第に意匠が施されて・・・、懸魚になった、というわけです。
まとめると蔵の○印も懸魚も機能的には同じ、そう棟梁材の小口の腐朽を防ぐため、それが次第にデザインされたのだ、というのが私の見解です。
一見全く無関係に見える両者のデザインの原義は同じ(と私は思います)。
○ 民家 昔の記録 高知 198003
既に昔訪ねた民家の記録を何回か載せたが、今回は高知県安芸市内の民家。漆喰の外壁には何段も瓦を並べた水切庇が付けられている。雨水が外壁を流れ落ちないようにする工夫。水切庇の付いた白壁がこの辺の民家の特徴だ(岡山辺りにも在るようだが)。
このデザインは現在に継承されていて、外壁に水切庇を付けた住宅を雑誌で見ることがある。但し瓦ではなくて鉄板でつくったものが多いが。モダンな住宅には瓦の庇は似つかわしくない、ということなのだろう。
何も伝統的なデザインをそのまま守ることだけが大切なのではない。デザインの意図、意味をよく理解してそれを継承すればよいのだ。
水切庇は雨水から壁面を保護し汚れを防ぐという点で、この辺でも採用していいと思う。材料はステンレス板や石など、外観のデザインに合わせて工夫できそうだ。