とだ九条の会blog

「とだ九条の会」公式HPに併設=「とだ九条の会ブログ」でネットワークを広げます。

感動的だった沖縄慰霊の日「平和の詩『生きる』」

2018年06月27日 | まち歩き

太平洋戦争末期の沖縄戦終結から73年、2018年6月23日に沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われた「沖縄全戦没者追悼式」での浦添市立港川中学校3年・相良倫子さんの「平和の詩『生きる』」は聞く者に感動を与えました。
そこで、その全文を紹介するとともに、数ある論評の中から2018年6月25日配信「東洋経済ONLINE」の論評を転載させていただき、紹介することにします。(サイト管理者)


沖縄慰霊の日

平和の詩「生きる」 【全文】

沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子
 
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
 
私は今、生きている。
 
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
 
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
 
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
 
私はこの瞬間を、生きている。
 
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
 
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ


私の生きる、この今よ。


七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
 
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
 
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
 
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
 
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
 
今を一緒に、生きているのだ。
 
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
 
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
 
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
 
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
 
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。

 
〈論評〉
この相良倫子さんの「平和の詩」に対する様々な論評の中から2018年6月25日配信「東洋経済ONLINE」の番外編コラム「コミュニケーション力」で論評しているコミュニケーション・ストラテジスト・岡本純子さんの論評を参考までに転載させていただき、紹介します。(サイト管理者)

 
※以下、転載はじめ↓

 

◼️堂々としたたたずまい


6月23日、沖縄慰霊の日に、自作の詩を披露した浦添市立港川中学校3年生の相良倫子(りんこ)さんの朗読シーンだった。ピンと背中を伸ばし、始まった瞬間から、その場の空気を支配する堂々としたたたずまいにくぎ付けになった。


この詩の巧拙については、専門家ではないので、評する立場にはないが、隠喩、倒置、反復、対照法、畳みかける、列挙法、省略法、韻などといったレトリック(修辞法)を余すところなく活用していることは見て取れた。しかし、こうした技巧を超越して、聞き手の心をとらえたのは、何よりも五感を刺激するその言葉と伝え方だ。


「マントルの熱を伝える大地」「心地よい湿気を孕(はら)んだ風」「草の匂いを鼻孔に感じ」「遠くから聞こえてくる潮騒」「岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波」「山羊の嘶(いなな)き」「畑に続く小道」。聞き手の脳に情景が鮮明に浮かび上がる描写の数々。熱気、湿気、匂い、海のさざ波・・・・・・。筆者を含め、だれもが、摩文仁の丘に立っているかのような錯覚を覚えたことだろう。難しい言葉は一切ない。ただただ、美しい島の情景を写真でも見せるかのように、聞き手の脳裏に焼き付ける。


その美しかった島がまさに阿鼻叫喚の地獄絵図に変わる姿もまた、鮮烈に描き出す。「小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった」「優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた」「青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった」「草の匂いは死臭で濁り」と「平和」と「戦争」を対比させることで、その残酷、無常さを際立たせた。


彼女はまさに平和の尊さと戦争の残酷さを「語る」のではなく、我々に「見せていた」。英語圏では、コミュニケーション教育の過程で、小さいころから叩き込まれるルールがある。「Show. Don’t tell」というものだ。「語るのではなく、見せろ」。つまり、「戦争は残酷だ」「平和は大切だ」そんなありきたりな抽象論を語るのではなく、もっと生々しい言葉でイメージとして植え付けろ、と教えられる。


たとえば、「太郎は悲しかった」ではなく「太郎は歯を食いしばり、必死で涙をこらえた」となり、「秋になった」ではなく、「公園は色とりどりの落ち葉が敷き詰められ、歩くたびにかさかさと音を立てた」といったように、徹底的に彩りのある「生きた」言葉に言い換えるように訓練されるのだ。


◼️「命」「今」「生きる」


過去と現在と未来、という3つの象限を切れ目なく行き来しながら、「過去」の過ちを再び「未来」に起こさないことを、未来につながる「今」、誓い、平和を発信しようと行動を呼びかける。


「命」「今」「生きる」という3つのキーワードをちりばめながら、躍動感のある言葉で織りなされる壮大な抒情詩は、激しい地上戦を生き抜いた曽祖母の体験をもとに紡がれたものだという。


わずか14歳だというこの少女の口から繰り出されたのはまさに「生きた言葉」の数々だった。紙やパソコンに書かれた「死んだ言葉」をただ、読み上げるのではない。「島民の平和への希求」という思いが結集して、まるで乗り移ったかのように、彼女はすべてをそらんじてみせた。シャーマンか巫女のように、自己を超越した「強い思い」に憑依(ひょうい)されていた。そのすごみはそのデリバリー(話し方)にも現れた。


堂々と、会場を見渡し、全方向に目を配り、たじろぎも恥じらいもない。「詩に込めたメッセージをしっかり伝えられるように読みたい」(琉球新報)と語っていたように、一つ一つの言葉の意味に情感を重ね合わせた。穏やかな言葉には、優しく包み込む口調で、「こみ上げるこの気持ち」という場面では、あふれ出る喜びを、そして、一転、戦争の場面では、厳粛さと悲しみを表現した。


熱量と気迫という点では、2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの国連でのスピーチをも彷彿させた。


国内外のプレゼン・スピーチウォッチャーを自認する筆者ではあるが、これほどのスピーチを日本ではなかなか見かけることがない。


◼️おじさん政治家たちは「棒読み」


たった、14歳の子どもが、渾身の力を振り絞って、会場や視聴者の魂を揺さぶったのに、彼女の前後に登場したおじさん政治家たちは、「スピーチ」という名の「棒読み」に終わったのが非常に対照的だった。


特に残念だったのは、安倍晋三首相が、彼女のスピーチに対する感想も、コメントもないままに、淡々と下を向いたまま、「原稿を読み上げて」終わったことだ。


歴代総理の中でも、コミュニケーションには並々ならぬ努力をしていると一定の評価がある安倍首相。リオデジャネイロ・オリンピック閉会式での演出やアメリカ連邦議会での演説など、海外向けのスピーチやプレゼンでは努力が垣間見られる一方で、国内のオーディエンス向けのコミュニケーションは、なぜか、そうした細やかさが感じられないことが多い。


相良さんの朗読を目の前で見て、何も感じ入る所はなかったのだろうか。ああいった場面で、当意即妙にコメントを入れたり、自分の心の言葉を語りかけたりすることができていたら、印象はずいぶん変わっただろう。他人が作った原稿をただ、読むだけのスピーチ、判で押したような紋切り型のスピーチ、「死んだ言葉」の羅列など、人の心をピクリとも動かさないことを政治家も企業経営者も、肝に銘じておくべきである。


人々は生の言葉、生きている言葉を求めているのだ。


【出典】2018年6月25日配信「東洋経済ONLINE」

 


※9条改憲を許さず、憲法の平和・人権・民主主義が生かされる政治の実現を求める
「安倍9条改憲NO!憲法を生かす全国統一署名」(3000万人署名)にご協力を。
 署名はこちら=> =>http://kaikenno.com/?p=1

(安倍9条改憲NO!全国市民アクション)


◼️5月3日「憲法集会」で4月末時点で1350万筆が集まったことが報告されました。引き続き3000万筆目指して取り組みます。


 
※日本政府に核兵器禁止条約への参加を求め、
 核兵器のない世界の実現に向けて、
 あなたも「ヒバクシャ国際署名運動」を。
  ネット署名はこちら=> http://hibakusha-appeal.net
  (「ヒバクシャ国際署名」推進連絡会)
※このブログをお読みの方で、「私も九条の会のアピール(「とだ九条の会」HPをご覧ください。)に賛同し、憲法九条を守る一翼になりたい」という方は、 「とだ九条の会」HPに「WEB署名」がありますので、「賛同署名」にご協力ください。
■「とだ九条の会」公式ホームページもご覧ください。
http://toda9jo.web.fc2.com/

*「とだ九条の会」ホームページは2014年11月24日、上記アドレスに引越しました。
■「とだ九条の会」ブログのアドレス
http://blog.goo.ne.jp/toda9jo

*「とだ九条の会」ブログは2014年11月10日、上記アドレスに引越しました。
■「とだ九条の会」ツイッターのアドレス
http://twitter.com/toda9jo

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小池知事へ、関東大震災朝鮮... | トップ | 「9条の精神持てば戦争なく... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

まち歩き」カテゴリの最新記事