2011年2月23日付け「毎日新聞」地方版に、元米海兵隊員でベトナム戦争に従軍後、平和運動家として日本で全国各地で「戦争から何も生まれない」「憲法九条は日本人にとってだけでなく、人類の未来を指し示す世界の希望の灯火」などと語り歩き、2009年3月に亡くなったアレン・ネルソンさんの遺志を引き継ぎ、「アレン平和資料館」の建設計画を進めている石川県加賀市の住職の記事が出ていましたので、転載させていただき、ご紹介します。(サイト管理者)
<平和の意味考えて>
米海兵隊員としてベトナム戦争従軍後、戦争の実態を訴え続け、09年に61歳で亡くなった平和運動家、故アレン・ネルソンさんの遺志を継ぐ「アレン平和資料館」の建設計画を、ネルソンさんが納骨されている加賀市の寺が中心となって進めている。関係者は、勇気をもって自らの殺りくの事実を明かしたネルソンさんの人生を通して平和の意味を考えられる資料館にしたいと願っている。
ネルソンさんは1966~67年に従軍。北ベトナムで多くの兵士や市民を殺害したおぞましい体験から、帰還後は戦時PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだ。95年、沖縄の米兵による少女暴行事件を機に、翌年から日本全国で体験を伝え、戦争の根絶を訴えたが、09年3月、多発性骨髄腫で61歳で死去した。
資料館の計画を進めているのは「浄土真宗光闡坊(こうせんぼう)」の佐野明弘住職(53)ら、講演で知り合った仲間たちでつくる「アレン・ネルソン ピースプロジェクト」。ネルソンさんも仏教の人間の罪深さを自覚する思想に共鳴して終生、佐野住職を慕った。今は寺に「釈阿蓮」の法名でお骨が納められ、同プロジェクトは墓の建立も進めている。
佐野住職は、ネルソンさんが強調していた「友達になれば殺せない。地道に隣人と温かい関係をつくることで平和が育つ」との考えに、本来の平和の基礎があると確信してきた。この考えを後世に伝えるため、資料館の建設を決意。遺族から提供があれば、ベトナム戦争で身に着けていた軍服や写真など遺品を置き、ネルソンさんの生き様をたどれるようにする。沖縄に駐留する海兵隊員に「武器を置いて国に帰ろう」と呼びかけた映像も流す予定だ。
ただ、建設資金は募金頼みだ。22日は、同寺で同プロジェクトの設立集会が開かれた。ベトナム戦争の孤児でフランス人の世界的チェリスト、エリック・マリア・クテュリエさん(39)が参加し、チェロを披露してネルソンさんを追悼した。生まれてすぐベトナムを離れたクテュリエさんは、ベトナム戦争の記憶はない。ただ「ネルソンさんが送った、殺りくから平和活動へと進む凝縮された人生に人間的魅力を感じた。生前に出会えたら、日本酒を飲み交わし、いっぱいしゃべって兄弟になりたかった」と話した。
同プロジェクトへの寄付は郵便振替「アレン平和資料館」(00790・1・60920)。
【出典】2011年2月23日付け「毎日新聞」地方版
■アレン・ネルソンさんの講演記録:K9MPブックレットNo.3『そのとき、赤ん坊が私の手の中に』2006年5月刊
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