微笑みを生きる

ナラティブセラピストとして、日々の心の気づきを書いています。また、ケアマネージャーの視点から介護についても記述します

ともに生きる

2009-06-06 04:17:25 | 生きる
どうしているのかなとふと思い出して

でもきっと今が幸せなら連絡はこないからいいだろうと

その翌日着信履歴に残っていた名前

さっそく連絡してみると

近況を話してくれました

特別なこともなく、日々を送っているということ

忘れたころにかかってくる電話

いつものことだけど

なぜかふとどうしているのかなと思ったときにかかってきて

もうそろそろかかってくる時期だからそう思うのか

そう思うからかかってくるのか

なにはともあれ日々を平穏にすごしているのならそれでよく

遠く離れていて、ときどきしか連絡はなくても

そこにつながっている誰かがいる

決して忘れられたわけでもなく

時代をともに生きているだけ

それもまたよきかな


いつもともに
心の避難場所http://www1.odn.ne.jp/self-therapy/
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ふれあうことで

2009-06-03 21:13:21 | 生きる
ふれあうことで通じることがあります

人は心とともに肉体があります

ふれあうことで

通じることもあります

心をこめて

そして求めに応じて

ふれあうこともたいせつなこと

また心をこめて

思いを

肌を通して伝えることもまたたいせつなこと

人は思いを肌をとおして伝えることができます

いつもともに
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男と女が消えたとき

2009-06-02 03:38:13 | 生きる
男と女

男と女という現実が

心の路に壁をつくってしまう

素直な気持ちが

どこかで制限されてしまう

男と女という壁を越えたとき

心の路の壁は消えていく

素直な心

本音の心で通じ合う

魂の世界に入っていく

肉体は男と女

男と女の性の違いはあっても

それだけのこと

魂の世界では

魂が共鳴するなかで

いつくしみあうだけである


いつもともに
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専門性ゆえに

2009-06-01 15:21:20 | 生きる
専門家はその専門性に固執するゆえに

専門とする分野で何かが見えなくなってしまうのでしょう

まったく異分野の素人と言える方の方がみえているときがあります

ときには自己が築いてきた知識をすべて消し去って

みつめてみることも必要でしょう

言葉や文字にこだわることなく

言葉や文字にこだわることが

過去の知識によって新たなものを見る眼をふさいでしまうのでしょう

目でみるのではなくもうひとつの眼でみてみては

感じること

感じることで何かがきっと気づくことでしょう

すべての知識を消し去っていたらね

いつもともに
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