竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二七〇 今週のみそひと歌を振り返る その九〇

2018年06月09日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二七〇 今週のみそひと歌を振り返る その九〇

 今回は巻十一 巻頭に置かれた旋頭謌の中から次の歌を鑑賞します。紹介は標準的な解釈を先に紹介し、ついで、なぜ、この歌を取り上げたのかを説明します。

集歌2365 内日左須 宮道尓相之 人妻垢 玉緒之 念乱而 宿夜四曽多寸
訓読 うちひさす宮道に逢ひし人妻ゆゑに玉の緒の思ひ乱れて寝る夜しぞ多き
解説:旋頭歌。「うちひさす」も「玉の緒の」も枕詞。「人妻姤」(原文)を「人妻ゆゑに」と訓むのがいいか否かは疑問のあるところ。あるいは「姤」に着目して「奥方ゆゑに」とした方がいいのかも。「宮に通う道で高貴な奥方らしき人に出合ったが、奥方故に恋い焦がれてはいけないと、思い悩んで寝付かれない夜が多い」という歌である。

 解説に紹介されるように三句目「人妻垢」について、西本願寺本万葉集では「垢」の表記ですが、[嘉:嘉暦伝承本][文:金沢文庫本][細:細井本]では「姤」の表記となっています。伝承本での大勢では「垢」の表記ですが、これでは訓じられないとして校本などでは「姤」の表記を採用します。
 この背景として同じ巻十一に次の歌があり、其の歌に「姤」の漢字があります。そして、「或本謌云」と云う解説の付いた類型歌扱いの歌が付属します。

集歌2486 珍海 濱邊小松 根深 吾戀度 人子姤
或本謌云、血沼之海之 塩干能小松 根母己呂尓 戀屋度 人兒故尓

 ここから、集歌2486の歌の末句「人子姤」は「人兒故尓」と同じと見なし、「人兒故尓」の訓じ「人の児ゆえに」を流用し「姤」を「ゆえに」と訓じます。
 一見、根拠がありそうですが、「姤」を「ゆえに」と訓じるものは漢語・漢字に由来しない訓じですから「伝統からの戯訓」扱いとなります。漢字を下にした訓じでも解釈でもありません。しかしながら、類型歌から集歌2486の歌の末句「人子姤」に訓じが得られましたから、転用して集歌2365の歌の三句目「人妻垢」を「人妻姤」と校訂しますと、「人妻ゆえに」と云う訓じが得られることになります。
 この「人妻垢」を「人妻姤」に校訂し「人妻ゆえに」と云う訓じる提案は、実に万葉集全歌に渡りその原歌表記を研究した成果と努力であると思います。ただし、その出発点は隋唐時代及びそれ以前の時代の漢語・漢字の音韻や意味に依存しない、類型歌からの見なしを出発点とする「伝統からの戯訓」だけです。もし、「或本謌云」と云うものが、平安時代に成立したと思われる二十巻本万葉集の最終編纂時点頃に付けられたものとしますと、飛鳥浄御原宮時代頃に詠われたと思われる集歌2486の歌と「或本謌云」の歌の内容が完全に一致するかは不明です。ちなみに弊ブログではそれぞれを次のように訓じ・解釈しています。

集歌2486 珍海 濱邊小松 根深 吾戀度 人子姤
試訓 珍(うづ)し海浜辺(はまへ)し小松(こまつ)根し深み吾(あれ)恋ひわたる人し子(こ)し姤(よし)
私訳 近江の大津宮の貴い海の浜辺の小さな松の根でも深く根を張るように、深く深く私は貴女に恋をしています。私の想いが叶わない貴女ですが麗しい人です。
注意 原歌の「珍海」の「珍」は集歌4094の長歌に「宇豆奈比」を古語「珍(うず)なひ」と訓じるのを踏襲します。また「人子姤」の「姤」は康煕字典の解説「偶也、一曰好也」を採用します。さらに「人子」は自分の思うようにならない相手の意味合いで解釈します。婚姻して夫を持つ女性とは解釈していません。

或本謌云、血沼之海之 塩干能小松 根母己呂尓 戀屋度 人兒故尓
訓読 茅渟(ちぬ)し海し潮干(しおひ)の小松ねもころに恋ひわたる人し子ゆゑに
私訳 茅渟の海の潮の干いた海岸の小松の根が這えるようにねんごろに慕いつづけましょう。私の想いのままにならない貴女ゆえに。

 弊ブログの訓じと解釈を示しましたが、可能性では「或本謌云」のものは類型歌になるかどうかも不明です。従いまして、「人子姤」と「人兒故尓」との訓じが一致することは保障されないのです。
 前提が崩れました。
 集歌2365の歌の三句目「人妻垢」を訓じを得る目的として無理に「人妻姤」と校訂する必要性はないことになります。すると、読解の基本に立ち戻り隋唐時代及びそれ以前の時代の漢語・漢字の音韻や意味を探る必要があるのです。こうした時、說文解字では「垢、濁也」と解説しますし、康煕字典では「姤,遇也。一曰好也」と解説します。そして音韻では共に同じ「kə̯u」です。
 漢字での掛詞と見なしますと、意味合いにおいて垢であり、姤でもあると云う可能性が出て来ます。濁には「にごす」だけでなく、「へばりつく」と云う意味合いもありますから、漢字での掛詞ですと、想いがへばりつく感情と好ましい感情とを垢の一字で代表させている可能性があります。なお、旋頭歌としての口調重視ですと「垢、濁也」から「にこり」と発声する可能性がありますから、発声からは「にこり(和り)=ほほえむ」との解釈も有り得ます。
 色々と言葉に遊びましたが、弊ブログでは口調を優先し「垢」を「にこり」と訓じ、意味合いを「ほほえむ」とします。ただ、漢字表記的には好ましい相手への思いがへばりつくと云う意味合いもあるとします。その特別な漢字文字の選字と考えます。本来なら一字一音の万葉仮名を交えることも可能ですがそれを敢えての「垢」一字の選字表記です。集団歌ともされる旋頭歌の採歌の時と万葉集の前となる古歌集に載せるまでの間に、宮中歌舞所などでの記録や古歌集編集時に表記への推敲があったのでしょうか。特殊な文字ですので考えさせられます。
 なお、弊ブログでの訓じと解釈は次の通りです。

集歌2365 内日左須 宮道尓相之 人妻垢 玉緒之 念乱而 宿夜四曽多寸
訓読 うち日さす宮(みや)道(ぢ)に逢ひし人妻(ひとつま)にこり 玉し緒し念(おも)ひ乱れに寝(ぬ)る夜(よ)しぞ多(おほ)き
私訳 大殿に日が輝き射す、その宮の道で逢った自分の思いのままにならない美しい娘がほほえむ。玉を貫く紐の緒が乱れるように心を乱して寝るそんな夜が多きことです。

 大仰な話となりましたが、やはり、結論はいつもの与太話であり、馬鹿話です。正統な歌の鑑賞は「垢」を「姤」に変えての「ゆえに」です。そうしたとき、特段、漢字に意味合いを求める必要はありません。

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