竹取翁と万葉集のお勉強

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明日香新益京物語 紀伊の神々

2014年04月20日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
紀伊の神々

 朱雀六年(677)十一月、飛鳥浄御原宮で国々の国司守、国造、祝部どもを招いて大和の新嘗祭が行われた。神祇官の中臣大嶋は、この新嘗祭の式次第と儀礼を祝部どもに教え、授けた。
 この時、紀国造の代理、紀弓張が伊勢の神祀りの噂を聞いた。その由来を聞けば壬申の乱の前の年、中元四年の初夏の大祓であると云う。今、その伊勢の神祀りを執る伊勢斎王は大王の御子で、その御姿は目も眩むほど美しく、清々しいと云う。神主伊勢王と国の祝部どもは、その伊勢斎王にかしずき、礼を行う。紀弓張に噂話をする、その祝部は伊勢斎王の御姿を拝めるだけでも、一宮の神祀りは楽しみじゃと云う。
 その祝部が、さらに意味ありげに声を潜めて紀弓張に語った。
「謹厳な御簾内の秘事で確かなことは判らぬが、神事で漏れ聞こえ、聞かされる物音から思うに、神主伊勢王は古の礼に従い、御門の目合いを確かに為されている。ただ、この御簾内の仕儀は斎王の伊勢降りから改まったので、今、神の寄代がどのようになっているかは判らん。それに、祭事に従う采女どもも、その秘事には口を閉ざす」

 新嘗祭の後、大海人大王の前に紀国造紀臣大人と紀弓張が、人目払いを願い、平伏している。脇には国造に関係するとして左大臣高市皇子と神祇官中臣大嶋が控えている。
 紀国造紀臣大人が訴えた、
「我が紀国一宮の日前神社は、伊勢国一宮の都波岐神社に決して劣るものではありませぬ。大王が伊勢国に斎王を降し、その神の宮で斎きなされるのであれば、我が紀国一宮の日前神社にも大王の斎王によって斎き願いたい」
「また、吾ら紀国造一族は、決して、伊勢国造一族に後れを取るものではありませぬ。それは、大王がご覧になられたように、先の壬申の乱でも、その証を見せておりまする」
 この時、紀弓張はおよそ三十六歳、伊勢王よりやや年下だが、張り合ってもおかしくない年齢である。ただ、伊勢王とは違い、王族ではない。
 紀国造紀臣大人は先の大津宮で御史大夫を務めた男である。当然、宮中の女達の年齢や婚姻関係は、頭の中にある。願い出て紀国の斎王として降される可能性のあるのは、伊勢国の斎王大来皇女を前例と考えると、先の大友王の妃で大王の長女となる十市皇女ただ一人。
 今、大海人大王の宮中で養われていて、斎王に相応しい年齢の皇女は四人。その内、姪媛が産んだ葛城大王の御子、御名部皇女は既に高市皇子に嫁ぎ、その妹、阿閉皇女は、宮中のバランスと年齢から皇后の御子、草壁皇子に嫁がれるであろうと皆が思っている。また、常陸娘の御子、山辺皇女がいるが、山辺皇女は大津皇子と歳が釣り合う。つまり、未亡人ではあるが大海人大王の御子、十市皇女が唯一の該当者になる。
 大津宮で御史大夫を務めた紀国造紀臣大人は多くの皇女たちを見知っている。十市皇女は、その中でもとびきりの美人である。その十市皇女は、この時、二十四歳。やや年は行っている。それを承知した上で、今後、紀臣大人の後を継ぎ、神主となる紀弓張が、その十市皇女を己がかしずく紀国の斎王にと願った。
 大海人大王、左大臣高市皇子、神祇官中臣大嶋、紀国造紀臣大人、そして紀国造代の紀弓張の五人の男どもは口には出さないが、斎王十市皇女と神主紀弓張との御門の目合いを前提として、先々を考える。神祀りの豊穣の証が生まれれば、紀国造家は大王家に繋がる。すると、将来、紀国の神々は大王家が直接、支配することになる。

 紆余曲折があった。だが、大海人大王は十市皇女を紀国一宮の日前神社の斎王に降すことを決めた。
 朱雀七年(678)春、斎王が紀国へと降る、その潔斎の斎宮を倉梯川の辺に建てた。
 四月、多くの思惑の中、十市皇女を卜による斎王選定とするべく、儀礼は進んで行く。
 十市皇女は苦悩した。十市皇女は葛城大王と先の夫、大友王の影響で仏教信者である。大海人大王も建て前では仏教信者であり、庇護者である。しかしそれは、大和統一の政策のための似非仏教信者である。倭人の性根には、子を産み、豊穣を願う、子孫繁栄の根本思想がある。それが自然界に宿る森羅万象の神々と共にこの世の繁栄を願う倭の神祀りの精神となる。
 一方、十市皇女は三宝を敬うことで、この世に生きる縁起から生じるもろもろの苦や煩悩から解き放たれ、あの世で御仏となることを願う仏教信者である。神道の生きる人々の現世での子孫繁栄と仏教が持つ断縁成仏の思想とは相容れない。
 十市皇女は、その仏教信者である己が大和の神祀りを執る斎王となることに苦悩した。十市皇女にとって出家こそしていないが、斎王となることは、精神的には還俗し、改宗することに近いことであった。それに母親、額田姫王は時に采女代とも称されるほど大和の神祀りに深く関わり、娘が神主紀弓張と御門の目合いをするであろうとは云え、斎王になり紀伊一宮の神に斎くことを喜んだ。その十市皇女に相談する相手はいない。
 悩みに悩んだ結果、宮中から斎宮へ遷る寸前、十市皇女は自らの命を絶った。
 ただ、皮肉なことに、仏教信者であろうとした十市皇女は、大和の神祀りの仕儀で三輪山を望む鳥見山の麓、赤穂の塚に葬られた。倭の古風の葬礼では、若くして死んだ女は、いつでも子を産める豊穣の女であったと讃える。十市皇女もまた、古風に従い、子を産む若い女として、いつも身は潤い、男が抱きたいと思うような豊穣の女子であったと讃える挽歌が奉げられた。
 その十市皇女への挽歌を高市皇子が大王の親族を代表して詠った。歌は若き女の性的魅力を臭わすが、それは柿本朝臣人麻呂が、後年、明日香皇女への挽歌でも詠うように倭の礼である。そこに男女の関係はない。

神山之山邊真蘇木綿短木綿如此耳故尓長等思伎
訓読 神山(かむやま)し山辺(やまへ)真麻(まそ)木綿(ゆふ)短か木綿(ゆふ)如(か)くのみ故(から)に長くと思ひき
私訳 神山の山邊に懸ける真蘇木綿の短かい木綿。このためでしょうか、長く平らかであると思っていましたが、若死にされて残念です。

山振之立儀足山清水酌尓雖行道之白鳴
訓読 山吹し立ち儀(よそ)ひたる山(やま)清水(しみず)酌(く)みに行かめど道(みち)し知らなく
私訳 新緑に萌える山の谷間に山吹の黄色い花で囲まれた山清水のような潤んだ貴女を抱きたいが、何処に行けば良いか判らない。もう、貴女を抱けない

 十市皇女が自らの命を絶った時、飛鳥の都と紀国とで困惑が起きた。紀国は大王の許しを得て、既に国中の祝部どもに紀国一宮、日前神社への斎王の降し置きが告げられている。それに斎王は卜で選ぶと天下に告げている。建て前では、斎王に十市皇女が決まっていたわけではない。
 十市皇女を紀国へと降す約定をした大海人大王と高市皇子は苦慮した。伊勢国の斎王大来皇女に等しい皇女には葛城大王の御子、阿閉皇女と山辺皇女とがいるが、阿閉皇女は草壁皇子、山辺皇女は大津皇子の妃となることが決まっている。この皇女たちを紀国へと降す訳にはいかない。
 苦慮した結果、山背姫王が産んだ女王を降すこととなった。山背姫王は磐余宮(いはれのみや)の大王(諱、用明天皇)の御子、当麻皇子を祖父とし、父は当麻公広嶋である。その山背姫王と大海人皇子との関係は古い。軽大王が造る難波宮の廃都騒動があった白鳳六年(653)、当時、大海人皇子が二十三歳の折、山背姫王の許を妻問う関係が出来た。その妻問いの関係は百済の役で大海人皇子が筑紫娜の大津へと出兵するまで続いた。女王はその筑紫娜の大津出兵の最中に生まれた。その女王に、紀国斎王の白羽の矢が立った。
 その時、女王は十六歳、裳着を終えた成女であったが、まだ、特定の男とは縁が出来ていなかった。この女王は紀国一宮の日前神社へ斎王として降されたことで、後、檜隅(ひのくまの)女王と称された。これからはこの女王を檜隅女王と呼ぶ。

 大海人皇子は改めて山背姫王を嬪とし、その娘、檜隅女王と共に宮中に入れ、檜隅女王を皇女と為した。壬申の乱の折、山背姫王の父、当麻公広嶋は吉備国総領であったが、大海人皇子の御子である檜隅女王の祖父の立場として、近江朝廷からその忠誠を疑われた。そして、大友王が率いる近江朝廷の樟使主磐手によって殺害された。壬申の乱を知る人々の間では、逆に、この事件で大海人皇子と山背姫王親子の関係に焦点が当てられていた。
 紀国造紀臣大人と紀弓張は、この大海人大王と高市皇子との配慮に感謝した。檜隅女王の立場は、見方によっては蘇我氏の血を引く伊勢斎王の大来皇女より高貴な血筋となる。それに檜隅女王は大来皇女が伊勢斎王となった年齢とほぼ等しく、十市皇女とは違い、まだ夫を持たない皇女であった。
 その檜隅女王は紀国一宮日前神社の斎王として、紀国へと降って行った。やがて、紀国でも伊勢国に習い、斎王と神主が神降り神事の秘儀を行うようになった。

 その後、斎王や采女の出身や身分は違うが、方言や風習も違う地方の国々を含め、大和朝廷に連なる神の御社では同じような仕儀次第で神降り神事の秘儀が行われるようになった。
 歴史に残る例として、大和ではその起源の古さと神威では伊勢の皇太神宮や紀の日前神宮と競うはずの出雲大社や宗像大社の国造どもが、平安期の延喜十七年(917)、共に神主が為す神降り神事での行儀の悪さを太政官から名指しで指摘を受けた。逆に云うと、出雲国造と宗像国造とが共に似た神降り神事を行い、そこで同じような仕儀次第を為したことになる。また、朝廷もその神祀りの仕儀次第において、多少、行儀が悪い程度ではその秘儀を禁止出来ないほどの必要性と重要性を認めていたことになる。

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