竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 集歌798から集歌803まで

2020年08月06日 | 新訓 万葉集
集歌七九八 
原文 伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陀飛那久尓
訓読 妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべし吾(わ)が泣く涙いまだ干(ひ)なくに
私訳 愛しい貴女が見た楝の花。その(妹に)逢いたいと思う思い出の花は、もう、散り去ったでしょう。私の泣く涙は未だに乾くことがないのに。

集歌七九九 
原文 大野山 紀利多知和多流 和何那宜久 於伎蘇乃可是尓 紀利多知和多流
訓読 大野山(おほのやま)霧立ち渡る吾(わ)が嘆く沖瀟(おきそ)の風に霧立ち渡る
私訳 大野の山に霧が立ち渡って逝く。私の嘆きの溜息が風となり霧が立ち渡って逝く。
左注 神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良上
注訓 神亀五年七月廿一日、筑前國守山上憶良上(たてまつ)る

令反惑情謌一首并序
標訓 惑(まと)へる情(こころ)を反(かへ)さしむる謌一首并せて序
前置 或有人。知敬父母忘於侍養、不顧妻子、軽於脱徒。自称倍俗先生。意氣雖揚青雲之上、身體猶在塵俗之中。未驗修行得道之聖、蓋是亡命山澤之民。所以指示三綱、更開五教、遣之以謌、令反其惑 謌曰
序訓 或は人あり。父母を敬ふことを知りて、侍養(じやう)を忘れ、妻子(めこ)を顧みずして、脱徒(だつし)よりも軽みす。自ら 倍俗(ばいぞく)先生と称ふ。意氣は青雲の上に揚るといへども、身體は猶塵俗(ちりぞく)の中に在り。いまだ修行得道の聖を驗(あらは)さず、蓋しこれ山澤に亡命する民ならむ。所以(かれ)、三綱を指示し、更に五教を開き、遣(おく)るに謌を以ちてして、その惑(まとひ)を反さしむ。謌に曰はく
序訳 或る人がいる。その人は父母を敬うことを知っていながら孝養を尽くすことを忘れ、妻子を顧みずに、(逍遥隠棲して、)それらを脱ぎ捨てた履物より軽んじている。そして、自分から俗に背を向ける先生と称す。気持は青雲より高く高揚としているのだけれども、身体はまだこの俗の世の中にある。(また、山野に出家したとしても、)未だに道を修め得た聖人としての効果を現わしていない。おそらくこれが世に云う山中に逃避する人なのであろう。そこで、儒教の三つの心得を示し、また、五つの教えを明らかにして、それを示し、贈るのに詩を使って、その迷った気持ちを変えさせようとしよう。
その詩に曰く、
集歌八〇〇 
原文 父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周 許能提羅周 日月能斯多波 雨麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦
訓読 父母を 見れば貴(たふと)し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世間(よのなか)は 如(か)くぞ道理(ことはり) もち鳥(とり)の かからはしもよ 行方(ゆくへ)知らねば 穿沓(うげくつ)を 脱き棄(つ)るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は 石木(いはき)より 生(な)り出し人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大王(おほきみ)います この照らす 日月(ひつき)の下は 天雲の 向伏(むかふ)す極(きは)み 谷蟆(たにくぐ)の さ渡る極(きは)み 聞(きこ)し食(め)す 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに 然(しか)にはあらじか
私訳 父や母を見れば貴く、妻子を見ればかわいく愛しい。世の中は、これこそ道理ではないか。鳥もちに掛った鳥のように道理からは離れがたいことよ。目指すものを見失い、大夫の履く穿沓を脱ぎ棄てるように官位を捨て家族をも踏み捨て、僧門に入って行く人は岩や木から生まれた人なのか、名前を名乗りなさい。死んで天へ行ったならば思い通りにするがよい。この世に在るのなら大王がいらっしゃる。大王の御威光で天下を照らす日と月の下の天雲が棚引き大地に接する果て、ヒキガエルが這って行く地の底の果てまで、大王が統治なされる国の真に秀ひでたものですぞ。あれやこれやと自分のしたいようにしてはいけないのではないか。

反謌
集歌八〇一 
原文 比佐迦多能 阿麻遅波等保斯 奈保奈保尓 伊弊尓可弊利提 奈利乎斯麻佐尓
訓読 ひさかたの天道(あまぢ)は遠しなほなほに家に帰りて業(なり)を為(し)まさに
私訳 死んでから逝く遥かな天への道は遠い。今はおとなしく家に帰って仕事にお励みなさい。

思子等謌一首并序
標訓 子等を思(しの)へる謌一首并せて序
前置 釋迦如来、金口正説、等思衆生、如羅候羅。又説、愛無過子。至極太聖、尚有愛子之心。況乎、世間蒼生、誰不愛子乎。
序訓 釋迦如来の、金口(こんく)に正に説きたまはく「等しく衆生を思ふことは、羅候羅(らごら)の如し」と。又説きたまはく「愛(うつくし)びは子に過ぎたるは無し」と。至極の太聖すら、尚(な)ほ子を愛(うつくし)ぶる心あり。況むや世間(よのなか)の蒼生(あをひとくさ)の、誰かは子を愛(うつくし)びざらめや。
序訳 釋迦如来が、貴い御言葉で正に説きなされたことには、「平等に衆生を思いやると云うことは、自分の子である羅候羅を思いやる気持ちと同じである」と。又、説きなされたことには「物事を愛するに、自分の子を愛することより過ぎるものはありません」と。全てを解脱した至極の太聖ですら、このように子を愛する心があります。どうして、この世に生きる我々一般の人々において、誰が己の子を愛さないことがあるでしょうか。
集歌八〇二 
原文 宇利婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
訓読 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ 何処(いづく)より 来(きた)りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとな懸(かか)りて 安寝(やすい)し寝(な)さぬ
私訳 瓜を食べると子供のことが思い出される。栗を食べれば、増してその思い出が偲ばれる。一体、どこから来るのであろうか。子への思い出が目にチラついて安眠することが出来ない。
注意 標準解釈では生きている我が子への想いを詠ったものとします。ここでは日本挽歌からの一連の流れを踏まえて奈良の都で非業な死を遂げた大伴旅人の娘とその夫である膳部皇子のことを詠ったものとしています。

反謌
集歌八〇三 
原文 銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
訓読 銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝(まさ)れる宝(たから)子に及(し)かめやも
私訳 賻(はぶ)り物の銀も金も珠も、何になるのであろうか。それら特別に優れた宝も亡くなった子に及ぶことはあるでしょうか。
コメント
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