麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

訪中譚⑧~北京その2

2007年12月12日 | 中国公演07
 北京での芝居が一番締まっていた
 (『臨時病室』『恋でいっぱいの森』ともに)

 観た人間の一致した感想です。既に書いたように、僕は物販対応でチラ見しかできていないので、制作の横川や、観劇ツアーとともに中国入りした弊団代表の山田、『恋森』演出の福原氏など複数の言葉を総合した結果です。

 会場の「民族文化宮大劇院」が、日本の最終調整を行った幸文化センター(川崎市)と同じ舞台面の大きさ※で、キャパシティーも、大連や長春のようにバカでかくないので、芝居に適した空間であったこと。
    (※幸でのGPは『恋森』だけでしたが…)

 また、それと連動するのですが、大きな会場で芝居が大味になっていたのを、北京での本番までの短い時間の中で修正できたという点。
 それには、ツアーも3都市目に入り、仕込み(照明や音響を含めた舞台を作る作業)にも慣れて、芝居の稽古に時間を割けるようになったことも作用しています。

 そりゃあ、旅公演ですから。。。
 例えばこの北京では通訳さんの1人が、ちょっと日本語勉強したことある程度の女性で、全くオハナシにならないので帰ってもらった
。。。なんて事件(?)もありながら、日本の優秀な外部スタッフの頑張りでクリアして行ったわけです。
 ちなみに、もう1人の学生さんは、日本にも長く住んでいて、黙ってれば日本人と言ってもいいほど素晴らしい発音とイントネーション(&顔形もネ)で、大変戦力になったのですが……。

 北京といえば、劇場への入場の際、空港の保安検査ようなゲートをくぐっていたのが印象的でした。
 五輪を前にした措置なのでしょうか?

 芝居が締まっていた話は冒頭にしましたが、実は集客が一番少なかったのも北京でした。

 娯楽が多いというか、芝居は勿論、映画やライヴ等々、他にも出し物が多いことが、まずあるでしょう。
 また現地受入先の「北京索有文化伝播有限公司」の熱心さが見受けられなかった気が僕にはしました。ほかにも仕事を抱えて忙しいのでしょうが、少なくとも僕はそのカンパニーの人間と会いませんでした。

 完全な呼び屋なのでしょう。「大連芸隆演出有限公司」もその類で、同公司・女社長からも感じたことですが、完全にビジネスとして、我々の舞台を「商品」と見る、ある意味プロの方々とは、どうも東演は合わないようです。

 前段の通訳の選定からもやる気のなさがよく分かる、というのは厳しいでしょうか? 逆に、それじゃプロじゃない!とも言えますが

いや、他人様のことは置いて、我々東演は確かに、もっとビジネスライクな部分も待たねば、と、日々反省はしています。本当はそーゆーところで勝負していかないといけないと。
 でも、生の舞台やってる人間として、生身の人間としての付き合いって、やっぱ大事だよな、とも思います。それに甘えるのではなく・・・。

 いくら生身だからって、ゴルフや買物をゴチになる…とかゆ~、どこぞの国のオエライ人の「オツキアイ」じゃなくてね、勿論。

 ありゃ、いつもとトーンが違う??? 

     では頭を冷やして、次回は中国で芝居を観て
     お勉強した話を
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする