ベラスケス(1599~1660)はスペインのフエリペ4世に仕えた宮廷画家で、絵画史に<近代>の扉を開いた巨匠と言われている。晩年の傑作「ラス・メニーナス」は絵画史上の名作と評価が高い。私は去年8月スペイン旅行中、プラド美術館でこれを見た。正式名は「フエリペ4世の家族」、愛称が「ラスメニーナス」(女官たち)だ。折しも今、兵庫県立美術館で「プラド美術館展(ベラスケスと絵画の栄光)」と題して彼の作品7点を含むプラド美術館所蔵の名品の展覧会が開催されている(会期は10月14日まで)。チラシの表には、「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」があしらわれている。これは「ラス・メニーナス」に代わる目玉という位置づけなのだろう。そのタイミングでの本書の刊行である。何かの縁だと思い購入した次第。一読した感想は、なかなかの力作で、1037円は無駄ではなかったということである。
最初「ラス・メニーナス」の独創性については理解できなかったが、著者はベラスケスの人生と関わらせて謎解きをしてくれている。この絵では国王夫妻を集団肖像画として制作するに際して、鏡の中に納めるという方法をとっている。しかもベラスケス自身が画中にあって大きなカンバスに向かっている。画面中央に写る鏡の中の国王夫妻がこの絵の外側、つまり鑑賞者と同じ位置に立っており、その二人を描いている。しかし、美術家の横尾忠則氏は7月7日の朝日新聞の本書の書評で、「彼の前の巨大なキャンバスには、この<ラス・メニーナス>そのものが描かれているのだ。なぜならこの3メートルの絵画と画中のキャンバスのサイズはほぼ等しいと判断したからだ」と従来の説に異を唱えている。なるほど、国王夫妻を描くのだったら、こんな巨大なキャンバスは不要だ。ことほど左様に、いろんな想像をかきたてる絵ではある。
最後に著者は画中のベラスケスの胸に輝くサンディアゴ騎士団の赤十字章に言及する。騎士団への加入は貴族の仲間入りをした事を意味し、これは国王の特段のはからいで実現したのであった。そこで、1659年(死の前年)に描き加えられた。なぜベラスケスは貴族になりたかったのか。実は彼の出自はポルトガル系改宗ユダヤ教徒(コンベルソ)の流れをくんでおり、平民の出であるベラスケス家にとっては、宮廷入りを実現させ、貴族の仲間入りを果たすのが夢であったのである。
著者曰く、王室画家となってからの異常なまでの寡黙ぶり、頑ななまでの沈黙は生来の彼の気質に帰せられ、作品を通してしか自己を語らないベラスケス一流の「生き方」と解釈されてきたが、真実は、平民でポルトガル系ユダヤ教徒の家系という出自のゆえに、権謀術策が渦巻くバロック的宮廷社会を生き抜くにはそうした生き方しか選択の余地がなかったのではなかろうか。今日、我々の眼からすれば平明で単調にしか映らない人生。しかし、その奥には冷徹な計画と現実的精神のもと、貴族となる野望がひそかに燃えていたに違いないと。
これを読むと、ベラスケスの絵画の迫力は、彼の上昇志向の意志力の反映に由来するのではないかと思えてくる。出自のハンデを乗り越えて、社会的成功者を目指すというのは人間社会では普通にあること。そのエネルギーが人生にダイナミズムを生むことは否定できない。
最初「ラス・メニーナス」の独創性については理解できなかったが、著者はベラスケスの人生と関わらせて謎解きをしてくれている。この絵では国王夫妻を集団肖像画として制作するに際して、鏡の中に納めるという方法をとっている。しかもベラスケス自身が画中にあって大きなカンバスに向かっている。画面中央に写る鏡の中の国王夫妻がこの絵の外側、つまり鑑賞者と同じ位置に立っており、その二人を描いている。しかし、美術家の横尾忠則氏は7月7日の朝日新聞の本書の書評で、「彼の前の巨大なキャンバスには、この<ラス・メニーナス>そのものが描かれているのだ。なぜならこの3メートルの絵画と画中のキャンバスのサイズはほぼ等しいと判断したからだ」と従来の説に異を唱えている。なるほど、国王夫妻を描くのだったら、こんな巨大なキャンバスは不要だ。ことほど左様に、いろんな想像をかきたてる絵ではある。
最後に著者は画中のベラスケスの胸に輝くサンディアゴ騎士団の赤十字章に言及する。騎士団への加入は貴族の仲間入りをした事を意味し、これは国王の特段のはからいで実現したのであった。そこで、1659年(死の前年)に描き加えられた。なぜベラスケスは貴族になりたかったのか。実は彼の出自はポルトガル系改宗ユダヤ教徒(コンベルソ)の流れをくんでおり、平民の出であるベラスケス家にとっては、宮廷入りを実現させ、貴族の仲間入りを果たすのが夢であったのである。
著者曰く、王室画家となってからの異常なまでの寡黙ぶり、頑ななまでの沈黙は生来の彼の気質に帰せられ、作品を通してしか自己を語らないベラスケス一流の「生き方」と解釈されてきたが、真実は、平民でポルトガル系ユダヤ教徒の家系という出自のゆえに、権謀術策が渦巻くバロック的宮廷社会を生き抜くにはそうした生き方しか選択の余地がなかったのではなかろうか。今日、我々の眼からすれば平明で単調にしか映らない人生。しかし、その奥には冷徹な計画と現実的精神のもと、貴族となる野望がひそかに燃えていたに違いないと。
これを読むと、ベラスケスの絵画の迫力は、彼の上昇志向の意志力の反映に由来するのではないかと思えてくる。出自のハンデを乗り越えて、社会的成功者を目指すというのは人間社会では普通にあること。そのエネルギーが人生にダイナミズムを生むことは否定できない。