読書日記

いろいろな本のレビュー

野球は人生そのものだ 長島茂雄 日本経済新聞出版社

2010-01-04 21:48:52 | Weblog
 ミスタージャイアンツ・長島茂雄の一代記。一時代を画した名選手のサクセス・ストーリーだ。長島は昭和11年生まれで、日本の高度経済成長と活躍の時期が重なり一躍日本のスターになった。私も子供の頃は彼のプレーに魅了された思い出がある。あの頃は子供は皆巨人フアンだったと思う。彼の華麗なプレーは自然発生的なものではなく、計算されたものだったということが書かれている。いわばケレンの塊だ。王選手の思索的な雰囲気とは違う、陽気で明るく、屈託の無いのが持ち味で、人々は彼のその性格を愛した。
 野球に打ち込んだ青年の栄光と苦悩がひしひしと伝わってくる。立教時代の砂押監督のしごきに耐えて素質を開花させたのだが、全然理不尽と思わず精進するところがすごい。砂押監督はやがて部員から、総スカンを食って退陣するが長島の才能を認めたが故のシゴキで、名伯楽だったことがわかる。野球を人生道と考える指導者で、今もその教えは高校野球に継承されている。
 長島は巨人に入ってスター街道を驀進する。そのハイライトは昭和39年東京オリンピックでコンパニオンを務めた西村亜希子さんとの出会いだ。長島は一目ぼれした彼女に押しの一手で突進、見事結婚にゴールインする。野球のスターと才色兼備の美人の結婚に当時のメディアはおおいに湧いた。このとき私は中学生だったが、どうしてこんな美人と結婚できるのかと羨ましくて仕方がなかった。当時私は、若尾文子のフアンで、どうしてこんな美人が存在するのか不思議に思っていたので、美人が誰かと結婚する時は言いようのない寂しさを覚えていた。後年、若尾文子は建築家の黒川紀章と結婚したが、そのときはすでに若尾にそれほど魅力を感じていなかったので、得に感慨はなかった。
 その長島はその後、長男一茂を儲け、夫人と三人でカルピスの宣伝に出た事がある。三人が笑顔で並んだ写真が宣伝に使われた新聞広告を昨日のことのように思い出す。何と素晴らしい家族かと中学生の私は感動した。その時の亜希子夫人の美しさは例えようもなかった。その後時は移り、亜希子夫人は死去、ミスターは脳梗塞でリハビリの日々、一茂は父と軋轢を起こし、ミスターの記念品をひそかに好事家に売りさばいているという週刊誌の記事を見るにつけ、世の無常をひしひしと感じる。命長ければ恥多しとは蓋し名言である。

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