読書日記

いろいろな本のレビュー

いのち 瀬戸内寂聴 講談社

2018-09-08 14:18:20 | Weblog
 瀬戸内寂聴は旧名晴美、1973年、51歳のとき今東光大僧正を師僧として天台宗中尊寺で得度、法名寂聴となった。最初はキリスト教の修道院に入る予定だったが、彼女の離婚歴などを聞いた神父に断られた。その後仏教関係で出家先を捜したが、これも彼女の男遍歴が災いしてなかなか受け入れ先が見つからなかったが、同じ作家あがりの今東光がたまたま中尊寺の大僧正であったため出家できた。今東光も生臭坊主の作家として有名だったので、2人には共通する部分が多い。1987年に天台寺住職になり、その後京都嵯峨野で寂庵と名づけた庵に住まい、善男善女に法話を説いて人気が高い。出家後も男性と付き合い化粧をし、酒を飲み肉食もしていると自認する。その彼女も今年で95歳、私の父と同年代である。ガンと心臓病を乗り越え、命の火を燃やして書き上げた、95歳、最後の長編小説と謳っている。腰巻には大きい赤字で、「生まれ変わっても、私は小説家でありたい。それも女の」とある。本当に男が好きなんだなあと感心してしまうが、小説の中身は70年の作家生活で出会った男たちと、同業の作家、河野多恵子と大庭みな子との交流を描いている。
 瀬戸内は1943年21歳で見合い結婚し翌年女子を出産。1946年26歳の時、夫の教え子と不倫、家出して京都で生活し、1950年に正式離婚。三谷晴美のペンネームで少女小説に投稿していたが、丹羽文雄を訪ねて同人「文学者」に参加。1956年36歳で『痛い靴』を「文学者」に発表、同年『女子大生・曲愛玲』で新潮同人雑誌賞を受賞。受賞後第一作『花芯』でポルノ小説であるとの批判にさらされ、批評家より「子宮作家」とレッテルを貼られる。その後はその生命力を発揮して『源氏物語』の現代語訳を出したりして活躍している。その文学的エネルギーは男遍歴の華麗さと相関関係があることは明らかで、まさに性的モンスターと言ってよい。私は『かの子撩乱』位しか読んだことがないのであまり大きなことは言えないが、これは面白かった。彫刻家・岡本太郎の母、岡本かの子の伝記である。かの子の破天荒ぶりが、瀬戸内と親和性があったのではないか、それゆえ彼女を小説にしたのではないかと思ってしまう。
 交流のあった河野多恵子と大庭みな子もそれぞれ作家として名を成した人たちだが、河野はマゾヒズム、異常性愛などを主題とする作品を書いており、瀬戸内の性向と通じるところがある。大庭は夫の転勤でアラスカで生活し、現地から投稿した『三匹の蟹』で芥川賞を取った。因みに、「三匹の蟹」とはモーテルの名前らしい。「現代人の救いようのない孤独を追求し、幻想的な独自の文学世界を展開した」(近現代文学辞典)とある。共に芥川賞の女性選考委員となり1997年まで務めた。
 この二人の作家との思い出話を中心に自己の過去を語るのだが、それぞれ男に対するどん欲さが臆面もなく披露される。「貞淑」とは彼女たちには無縁のようだ。河野と大庭は鬼籍に入ったが、瀬戸内は現役で活動している。寂庵で善男善女に法話をしているのだが、テレビで映るその様子を垣間見ると、身の上相談を敷衍したような感じで、仏の教えとは距離があるような感じだ。基本的に神や仏は俗事に関わらないものだが、しかし日本では仏はキリスト教の神とは違って御利益を授けてくれるフレンドリーな存在と意識している。瀬戸内はその流れで島倉千代子のように「人生いろいろ」を善男善女に語るのだ。経歴に不足はない。俗事に関わる生き仏と言える。願わくは、少しでも長生きして人生に対する洞察を語ってくれることを。
 

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