読書日記

いろいろな本のレビュー

戦争とデータ 五十嵐元道 中公選書

2024-03-01 15:14:51 | Weblog
 副題は「死者はいかに数値となったか」である。本書は本年度の大佛次郎論壇賞受賞作とある。人間が死んで死者の数字に代わってしまう、戦争とはまことにむごいものだ。この数字を研究するとは変わった人もいるものだ。戦争での死者をいかに正確に把握するかについて書かれたもので、これを一冊の本として読ませるのは並大抵ではないと思われたが、視点が珍しいので最後まで読んでしまったというのが実際のところだ。前書きに「戦争全体の把握にはデータが肝要だ。特に死者のデータは戦争の規模、相手との優劣比較で最も説得力をもつ。ただ発表されるデータにが正しいのかは常に疑念があるのだが、、、、、」とある。

 戦死者の数の統計はいわば汚れ仕事で、普通いかに戦争が起こらないようにするか、そのために人類が心がけることは何かというのが思想家、政治家、教育者の仕事になる。しかし、いつまでたっても盗み同様戦争はなくならない。国家が存在する以上軋轢は避けられないのが実情だ。よって戦死者数の正確な把握というのは冷徹なリアリズムに裏打ちされた営為ということになる。

 本書によると、戦死者の保護は1906年のジュネーブ条約で明文化された。それが実際試されたのは1914年に勃発した第一次世界大戦からだった。この時の戦死者は両陣営合わせて1000万人超で、あまりに多いので各国は敵軍はもとより、自国の軍隊の死者すら対処に困り、抜本的に制度を作り直す必要に迫られたとある。そしてフランスでは兵士の認識票を工夫したり、イギリスでは1915年初めに墓地登録委員会を設置し、一元的に遺体と埋葬地の管理を行った。ここら辺の記述は死者に対する扱いがキリスト教文化圏の特質が出ていると感じざるを得ない。戦争の目的は勝利することであるが、同時に戦死者の数字の正確さを期するというのは、日本を含む東洋的思考とは違っている。

 また戦争では兵士のみならず、市民(本書では文民と言っている)の犠牲も多く出る。非戦闘員は巻き込んではならないというのが不文律だが、第二次世界大戦末期の連合国によるドイツの都市ドレスデン大空襲、アメリカ軍のB29による日本の都市への空襲、とりわけ広島・長崎への原爆投下によって、いともたやすくこの不文律が破られている。都市の場合文民の犠牲者数は比較的数えやすいが、何十万という数字を挙げたとして戦争のむごさを再認識するだけで、戦争抑止の運動に持っていくのは至難の業と言えよう。

 本書で著者が戦死者の例として挙げているのは、ビアフラ戦争、エルサルバドル紛争、ベトナム戦争、グアテマラ内戦、旧ユーゴスラビア紛争で、文民保護の観点から赤十字国際委員会(ICRC)や国際刑事裁判所(ICTY)の役割に言及し、死者については特に1990年代以降遺体を掘り返して法医学的に確認したり、埋葬された死者を統計学的に分析する方法などが紹介されているが、今度は太平洋戦争でのアメリカとの交戦での死者数や、日中戦争での死者数にについて書いてもらいたい。とりわけ南京事件の文民の死者数についてはいろいろ説があって、3万~30万と一定しない。90年以上前のことで、非常に困難とは思うが何とかして頂けないものか。

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