読書日記

いろいろな本のレビュー

江田島海軍兵学校 徳川宗秀 角川新書

2015-04-29 09:14:23 | Weblog
 副題は「世界最高の教育機関」、腰巻に「かつて若者たちが東大以上に憧れた学校」「戦後のリーダーを数多く輩出した世界最大級の兵学校、その真実」とある。かつて海軍兵学校は陸軍士官学校と並ぶ兵士のエリート校で、軍人が文民を支配していた時代には多くの優秀な若者が、入学を希望した学校である。一高とか三高などの旧制高校を凌ぐ人気校であった。特に海軍兵学校は軍人を育てる教育機関でありながら、「士官である前に紳士たれ」という考え方で、ジェントルマン教育がなされたようだ。
 有名な「五省」に曰く、一、至誠に悖るなかりしか(不誠実な行動はなかったか) 一、言行に恥づるなかりしか(言動に恥ずべき点はなかったか) 一、気力に缺くるなかりしか(気力に欠けるところはなかったか) 一、努力に憾みなかりしか(悔いを残さないよう、諦めずに努力をしたか) 一、不精に亘るなかりしか(不精をせず、最後までものごとに取り組んだか)
 これを暗誦して就寝前の当番生徒が「軍人勅諭」五ヵ条を奉読したのち、「五省」の各項目を暗誦し、他の生徒はこれに合わせて目を閉じ声を出さずにとなえ、形式主義を嫌う日本海軍としては、異例の習慣だったと言われていると著者は言う。ことほど左様にリベラルな学校であったが、それは校長の資質にも大いに影響された。井上成美や栗田健男など生徒に大きな影響を与えたようだ。しかし、奈何せん戦争は殺し合いだから、いくらエリートとはいえ戦わなければならない。そのため先の大戦では多くの人材が戦死し、戦後の復興が危惧されたのである。
 そんな中で、著者は次のような話を第六章の半藤一利氏との対談で述べておられる。徳川氏は海兵77期で、昭和20年4月入校。定員は3756人。78期はさらに増えて4000人以上。生徒数が増えたのは、昭和18年12月入校の75期からで、3500人弱、昭和19年10月入校の76期は3500人を超えた。74期は1000人ちょっと、それ以前は数百人だから、桁違いの増員である。76期から78期までで12000人近い。これは井上成美の考え方だったらしい。いよいよ戦争も終わりだから、若い者をたくさん集めて戦後に生き残らせようしたのだと。
 私は昨年、海軍兵学校跡を見学した。今は海上自衛隊幹部学校となっているが、かつての華麗な建築物がそのまま残されていた。記念館で兵学校の歴史を語る品々を見学したが、やはり終戦間際に大量の生徒を入学させていることに気がついた。その時は、兵を補給して戦場に送るためなのかなと思ったが、今、人材を守るための政策だと知って、海軍にはエライ人がいたのだなあと感心した。何か救われたような気がする。
 あの「五省」も兵学校で使われたという文脈を外したら、結構良いことを言っていると思う。とにかく先の大戦ではエリートのみならず多くの国民、他国の人々が戦禍に死し、未曾有の惨事となった。日本は深く反省して不戦の誓い改めて立てるべきだ。天皇陛下でさえそのようにおっしゃっているのだから。為政者の責任は重大と言わねばならぬ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。