読書日記

いろいろな本のレビュー

逆説の日本史17 井沢元彦  小学館

2011-05-22 08:30:24 | Weblog
 日本史の常識を覆すシリーズの第17巻。副題は「アイヌ民族と幕府崩壊の謎」で、例によって「謎解き」のパターンである。アイヌとロシアと江戸幕府(松前藩)の幕末の動向については夙に渡辺京二氏が発表した好著、『黒船前夜』(2010年 洋泉社)に詳しいが、本書の週刊ポスト連載時はまだ未刊であったためか参考文献に入っていない。渡辺氏によれば、この時期、幕府は松前藩を作って蝦夷開拓の契機にすべくアイヌ統治に全力を傾けたが、辺境地のこととて本州のようにはいかない。間宮林蔵に探検させていたぐらいだから、地勢調査は緒についたばかりだった。おまけにコメができないので松前藩には石高がないのだと。したがって松前藩のアイヌ支配は井沢氏の言う通りだまし討ち等、卑劣な手口が横行していた。その蝦夷地にロシアが交易を求めてやってきたが、幕府は厳しい鎖国政策のを盾にノーの態度をとり続けた。おかげでレザノフは一年もの間、長崎港での滞在を余儀なくされた。渡辺氏はこの時日本は開国とそれに伴う近代化のチャンスを失ったと言う。井沢氏も同様の記述で、その原因を幕府の朱子学的発想に求めている。わかりやすく言うと幕末の倒幕志士のスローガン「尊王攘夷」である。この頑迷な思想が幕府の開国を阻害し、近代化を遅らせ、諸外国との外交下手の伝統を作りだしたのだと。
 江戸幕府を支えた思想は儒学であるが、それも朱子の哲学(理気二元論)であった。具体的には名分を正すということで、上下関係の厳格化と中華思想が柱となったが、井沢氏はそれに本居宣長の国学の思想(天皇が絶対神だという考え方)がミックスされていると指摘する。宣長の考え方も天皇から庶民という階層を意識した名文論なのだが、それが平田篤胤によって継承された。神道を基礎においた国学の展開を本居宣長、平田篤胤、荷田春満、賀茂真淵(国学の四大人)に焦点を合わせて、キリスト教の神と比較して述べた部分はなかなか読ませる。神は俗事に関与しないということを『旧約聖書』の「ヨブ記」を引いて説明しているところに私は一番感銘を受けた。よく勉強していると思う。「神に祈れば救われる」ということは無いのである。神は御利益とは無縁なのだ。
 著者によれば、朱子学の政治への悪影響は三つあるという。一つは、新しい事態に柔軟に対応できないこと。その理由は先祖つまり今とは全く違う前提で生きてきた人々のルールを「祖法」という形で絶対化するからで、これは儒教の「孝」と関係がある。二つは、日本人が意識していない朱子学の最大の欠点だが、歴史を捏造することである。現実よりも理想を重視する朱子学のもとでは「実際あったこと」は無視され、「あるべき姿」が歴史として記述される。三つは、外国人を「夷」と決めつけ、その文化を劣悪なものとして無視すること。以上をまとめて幕末の「祖法」を考えると、神格化された東照大権現こと徳川家康がそれにあたる。「鎖国」は家康が決めたこと故、それを覆すことは不可能。ロシアとの交易の機会を逃した理由はここにある。これで馬鹿げた「鎖国」の謎は解けた。これだけの内容を1600円の本で読めるというのは稀有のことである。井沢氏には今後ますますの精進をお祈りする次第である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。